不二家憩希のブログ

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エンジニア・ロジャー・ニコルス氏、ご逝去。その➀

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 米国のレコーディング・エンジニアのロジャー・
ニコルス氏が4月9日、カリフォルニア州
バーバンクの自宅で膵臓癌のためお亡くなり
になった。(以下敬称略)
 享年66歳だった。
 ロジャー・ニコルスは、エンジニアとしてグラミ
ー賞を7回も受賞している。
 グラミー賞は一回受賞するだけでも大変なこ
となのに、何と7回である。
 そのうち6回は盟友であるバンド、スティー
ー・ダンの作品である。
 今でこそ、スティーリー・ダンとロジャー・ニコル
スとは切っても切れない関係であるが、その出
会いは、ただの偶然だった。
 ある日の夕方のことである。
 ロスアンゼルスにあるabcダンヒル・レコードの
プロデューサーだったゲイリ-・カッツが、新人ソ
ングライター・コンビをスタジオに連れてきた。
 彼らのレコードデビューのためのデモ録音をさ
せるためである。
 二人は、ニューヨーク近郊の生まれで、東海岸
でのデビューを狙っていた。
 だが、どこのレコード会社からも相手にされなか
った。
 それには理由がある。
 二人はレコード会社の担当者の前でウォルター・
ベッカーがギターの弾き語りで自作の曲を聞かせ
たのだ。
 曲の出来はともかく、ウォルター・ベッカーの歌唱
力は素人並か、それ以下なのである。
 下手過ぎて聞く気になれないクオリティなのだ。
 二人はそんな肝心なことにも気がつかずに、オー
ディションを受け続けた。
 しかし、どこのレコード会社からも断られ続けた。
 苦闘の末やっとのことで、全米でただ一人彼等に
興味を示してくれたプロデューサーに出会った。
 それがロサンゼルスにあるabcダンヒルレコードの
ゲイリー・カッツだった。
 二人は最後の望みをかけてカッツを頼りニューヨー
クから移り住んできた。
 そしてこの日ようやくデモ録音にまでこぎ着けた。
 その記念すべき日に、たまたま手が空いていてエ
ンジニアリング出来たのが、ロジャー・ニコルスだっ
たのだ。
 当時のロジャー・ニコルスはabcダンヒル所属の駆
け出しのレコーディング・エンジニアだった。
 これがデビュー前のスティーリー・ダンの二人と新
エンジニアのニコルスの出会いである。
 
 ~続く~