不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

#哲学

「異教徒ですが」

私は教派神道の教会の教会長先生とお話をするのだが、 私の立場は完全な部外者である。 最初に会った時も「私は異教徒ですが」と名乗った。 異教徒とは何か大袈裟なニュアンスがあるように感じるが、 この言葉が最も適切だと思う。 そんな私を教会長は「よく…

冷静に唖然とする。

今年の当町内連合会のお祭りは晴天に恵まれた。 土日のお祭り当日だけでなく、金月の前後日の準備か ら片づけの日も晴れた。 曇ではない。 いずれも快晴だった。 雨が降らないだけでも珍しいのに、晴れである。 これは思いもよらぬことであった。 ”降って当…

”大人になると賢くなる”?

私は子供の頃、いくつかのことを思っていた。 ”大人になると賢くなる” 歳を取れば、自動的に賢くなる、と考えていた。 日々、様々な経験を積み、大なり小なり学んでいけば頭は 良くなるであろう、そう思っていた。 私はそう信じていた。 さて、実際はどうな…

勲章は必要なのか?

勲章は必要なのか? 私は基本的に要らないものだと考えている。 国民栄誉賞も要らない。 勲章や国民栄誉賞を受賞する人は、すでに社会的に大 いに報われた人たちばかりである。 地位も名誉も富も十分手に入れた人たちばかりである。 その分野では頂点に位置…

乗り越えた時にこそ祝おう。

日々の暮らしにおいて辛いことが起き、それを乗り越え た時にこそ、人は大いに祝うべきである。 厄が落ちた、罰ゲームに無事ゴールしたからである。 人生におけるノルマを一つ達成したのだ。 それは目出度いことなのである。 良くないことは悪いことではな…

「悲しみに意味があるのか?」

ラジオから「悲しみに意味があるのか?」という歌が流 れてきた。 その歌では意味はわからずじまいで終わった。 悲しみに意味はあるのか? ある。 悲しみも罰ゲームであり、厄落としである。 悲しみを体験し消化することにより、人は軽くなる。 地面に縛り付…

人生は厄落とし。

人生は、厄落としである。 日本では特定の歳が厄年とされている。 だが、それは正しくない。 一生が厄落としである。 この世に誕生した瞬間から厄落としは始まる。 「人は幸せを握って生まれてくる」と言われるが、そ れは右手だけである。 左手には厄を握っ…

人生は罰ゲームである。

人生には罰ゲーム的側面がある。 罰ゲームとは何か? デジタル大辞泉には”ゲームや勝負事で負けた人が罰 としてやらされる行為”とある。 大辞林第三版には”勝負で負けた人が、罰として行うこ と”とある。 ウィキペディアには”ゲームの敗者に与える罰のこと。…

思い込みによる世界の形成。

私はこれまで書店やネット等で”ヨガ指導者の∨”という名 前を見た際に、苗字しか見ていなかったようだ。 (V氏か、あぁ胡散臭い人だな)と瞬間的に判断し、スルー してきたようだ。 だが、V氏はもうひとりいて、その人は苗字が同じだけで血 縁ではない別人…

長年の疑問の解決。

先週は私にとって大きな転換点だったかもしれない。 10代半ばの頃からの2つの疑問と、直近10年間にあった 一つの疑問の合わせて3つのが解決したからである。 私はこれらの3つの疑問について、その時々において解 明を試みてきた。 それなりの奮闘はしてきた…

「世間虚仮、唯仏是真」

聖徳太子のお堂にお参りしたのは、もう一つ理由があった。 昨年、聖徳太子が日頃から語っていた言葉を知った。 「世間虚仮、唯仏是真」(せけんこけ、ゆいぶつぜしん) これは天寿国繍帳という染色工芸品に織り込まれている。 聖徳太子の后の橘大郎女が、聖…

「大丈夫ですか?」は体裁を保つツールでしかない。

先日俳優の津川雅彦さんと朝丘雪路さんの合同お別れ 会が開かれたそうだ。 こんなことがあった。 朝丘さんが亡くなった約一ヶ月後に津川さんが記者会見 に応じた。 有名芸能人の妻が亡くなってから日が経っている。 没後すぐに何らかの表明があると見られて…

(自分たちだけ)は危険な感覚。

今年は日本のみならず、世界各地でも台風が被害をも たらした。 台風はご存知の通りタイフーンに漢字を当てはめて日本 語化したもので、他の地域では名前が異なる。 サイクロンやハリケーンとなる。 どれも同じ原理で発生、移動して暴風と大雨を巻き起こし …

寿命の希望。

私は自分の余命を考える。 これだけは生きたいという希望はある。 あと2年4ヶ月だけは何としても生きたい。 それ以降は、その時点で死んでしまっても構わない。 この希望は実現するであろうか? 何か大きな災害や交通事故などに巻き込まれることが なけれ…

己の死を直視する。

お通夜に行った。 当ブログでは時々お通夜・告別式に参列した時のこと を記している。 普通のブログではまず書かないことだ。 私は通夜・告別式に参列するたびに、死について考える。 それらの弔事は、死を考える契機となる。 死、それも自分の死である。 (…

虚栄心とは?

私はインドの古代の書物を朗読したYouTubeを聞い ていた。 私は時々こうした音声を聞いている。 アップされている元の書物は、とっくに著作権が切れ た古典ばかりである。 自分で本を黙読するするのとは、違った面白さがある。 その中で、こんな一文があっ…

打算的な国。

日本人は古来より打算的傾向が強い民族である。 「○○の利益があるから□□をする」 利益が大きければ礼賛され、少なければ見下す。 英語を勉強すれば、将来良い仕事のポストに就く可 能性が高いから英語を勉強する。 ○○という仕事に就くと、収入が多いので○○に…

不殺生と蚊。

今日は最高気温が25℃台である。 そのためか、屋内における蚊の出現が無い。 今週の月曜日くらいまでは、毎日何匹も現れた。 その度に圧殺するか、それが面倒になると蚊取り線香 で撃退をした。 少し気温が高いとよく入って来て、気温が下がり気味 だと侵入者…

「若い」が褒め言葉の国。

日本では「若く見られる」ということに価値があるらし い。 実年齢よりも若く見える=素晴らしい、である。 これは日本文化の特徴でもある。 外国では賢者を絵で表す際は、髭を生やした老人とし て描かれる。 老賢者である。 神も同様である。 髭を生やした…

ネットならでは。

私は自然に対して時々怒りを感じる。 怒りとまでいかなくともイラッとすることは頻繁にある。 こうした感情をリアルの場で表明すると「あいつは変 な奴だ」と言われるだろう。 実際、天候に対して文句を並べたことは何度もある。 その度に「天気のことだか…

自然に対する怒り。

何故私は雑草抜きの際の軍手着用を忘れてしまうの か? おそらく私が雑草に対して憎悪の念を抱いているから であろう。 雑草を見る→怒りが湧く→感情コントロールが甘くなる →感情の暴走により知性が混乱をきたす→軍手着用を 忘れる→素手のままで雑草を抜きを…

独房からの解放。

人間は、肉体と言う強制収容所に閉じ込められている。 この強制収容所は独房であり、一つの房に一人ずつ入 れられている。 この独房の管理義務は、囚人自身に課せられている。 病と言う破損状態に陥れば、修繕(治療)しなければな らない。 ここが、通常の…

スタートが泣くこと。

私は人間の肉体は強制収容所だと考えている。 もちろん独房である。 人は出生と同時にこの独房に閉じ込められる。 そのため、人は生まれると同時に泣き始める。 それも大声で全身の力を使って泣く。 人としてのスタートが泣くことなのである。 親たちはこの…

古くなること、新しいこと。

本日で5月は終わる。 毎月そう感じるのだが、今月も早く過ぎ去った。 そう受け取る私の感覚が(早い)と感じるだけで、時間の 過ぎ方は特に早くはなっていない。 いつもと同じである。 あくまで人の感じ方である。 早く感じているだけである。 だが、早いこ…

反省多き日々。

ここのところ、反省をする場面が多い。 誰かに「反省しろ!」と言われているわけではない。 いろいろと考えたり、脳みそに知識を加えたりした結 果「この考え方は間違いだった」「軽率で陳腐な思考だ った」と言わざる点が、いくつも発見されているからであ …

本能を超える欲望。

「動物の欲望は限定的、人間の欲望は無限」である。 そう言い切っても間違いないだろう。 動物にも欲望はあるが、限度が見てとれる。 一方人間の欲望には底が無い。 一つの欲望が果たされると、それを超える欲望を持つ ようになる。 動物が純粋で聖なるもの…

動物の欲望、人間の欲望。

昨日は「人はブタ並み?」と題してブログを記した。 そこでは、ブタの食欲、多くの動物、人の食欲を対比した。 では、食欲以外の欲望ではどうだろう? 動物の欲望には限度があるようだ。 食べ過ぎるのはブタだけ?のようだ。 季節限定の欲望もある。 発情期の…

落ちる前に気が付く。

昨日、私の今までの考え方の一部を変更させる出来事 が起こった。 その内容については、ここでは伏せる。 人間おごりは大敵である。 おごりが人を堕落させる。 私は幸いにも堕落する前に気が付いた。 もう少し時間が経っていたら、どうだろうか? 高慢が心の…

「大丈夫?」とは言わない。

私は「大丈夫?」とは尋ねない。 体調が悪い人、アクシデントに見舞われている人、そう いった人たちに対して、人は「大丈夫?」と聞く。 多くの人は、これに「大丈夫」と答えるだろう。 「大丈夫?」という言葉を受けると、つい人は「えぇ、大丈 夫」と応えて…

ネット上で悪口を記さない。

私は、原則的にネット上、特に当ブログにおいては、存命 の人間の悪口は記さない、という自己ルールを設けている。 これは、数年前から決めたことで、それ以前はごく稀で はあるが悪口を記したこともある。 その対象は、時の首相や暴言や横柄な行状がが絶え…