不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

非接種者は意外と身近におられる。

ツイッターに「自分の周囲に新型コロナワクチン非接種者がいない」という嘆きが記されていた。

ちなみに私は某有名SNSのことをXとは呼ばず、ツイッターと呼んでいる(笑)

 気持ちはわかるなぁ。

 私は幸いにも、非接種者の友人知人は意外なほど多くいる。

 私の特別狭い交友範囲内では十分すぎるほどである。

 それでも、それなりの孤立感はある。

 (誰か近くにもっと非接種者はいないかな)と思っている。

 だが、新型コロナワクチンの接種率は100%ではない。

 世間では12~5%ほどの人は、一回も接種していない。

 少数派ではあるが、非接種者は10%以上は確実に存在しているのだ。

 どの方の周囲にも「実は私は接種していない」という人がおられると思う。

 しかし、皆さん非接種ということを黙っておられるので、わからない。

 新型コロナワクチン非接種者の皆さんの周囲に、お仲間が見つかるように、私は心から祈っている。

 

 

 

傷跡の深化と脳の老化

  過去の記憶も未来への思い、これらは幻想である。

 妄想である。

 それらは、今現在は存在しない。

 記憶の中に、漂う心の中に傷跡を留めているだけである。

 人は、その傷跡から思い出を読み取る。

 楽しいことであると辛いことであろうと、それらは傷跡でしか無い。

 この行為を繰り返しているうちに、傷跡は深く広がっていく。

 この傷は修復不能である。

 治癒されることはない。

 自らが選んで繰り返している愚かな行為に働く自己治癒力は無いからである。

 そこから脳の破壊が始まる。

 高齢になるに従って、脳の働きが弱まるのは、このためである。

 傷跡が脳を侵食し、正常な動きが阻害されるからである。  

 早く老化を進めたければ、過去の思い出には浸り続ければ良い。

 

 

耽溺と破壊:過去と未来の幻想

 過去の思い出への耽溺は認知症を誘引する。

「では、未来なら良いのか?」という声があるかもしれない。

 未来もNOである。

 未来への耽溺も脳を破壊する。

 過去は幻想であり、未来も幻想である。

 それらは、存在していない。

 幻想を常に脳に留めていると、魂の力が奪われてしまう。

 魂の力が大きく減退する。

 だが、未来への耽溺は、過去の振り返りほど重症化することは、少ない。

 人は未来への幻想に生きていても、いずれかの時点で現実生活に目を向けざるをえなくなる。

 夢ばかりをみてはいられなくなる。

 そこで目が覚める。

 脳が破壊されるところまで悪化する例は、極めて少ない。

 十代の不安定な揺れ動く心理状態は、これに当たる。

 殆どの人は目が覚める。

 目が覚めないままで成人した人もいる。

 彼らは潜在的な狂気を抱えたまま生きていく。