不二家憩希のブログ

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エンジニア・ロジャー・ニコルス氏、ご逝去。その21

 エンジニア・ロジャー・ニコルスは、再結成後
スティーリー・ダンの来日公演に何回か音響
担当として同行している。
 私が確認したのは1994年、96年、2000
年の3回である。
 ニコルスは、レコード録音だけではなく、そう
したライブの場でも活動していたようだ。
 最高峰のレコーディング・エンジニアがライブ
の音響を担当しているのだ。
 ニコルスは、このライブ・ツアーでの演奏の多
くのレコーディングを任されていたようだ。
 これらの録音からスティーリー・ダン初のライ
ブ・アルバムが作られることになった。
 私は当時「スティーリー・ダンは再結成ツアー
で一儲けしてライブ・アルバムでも出したら、再
び解散、活動休止するのではないか」と推測し
ていた。
 再結成に伴う人気があるうちにライブ・ツアー
を何回も行って、ついでにライブ・アルバムも作
ってしまおう、と企んでいるのでは?と思ってい
たのだ。
 しかし、これらの私の読みは見事に外れた。
 その後、スティーリー・ダンはスタジオ録音の
オリジナルアルバムを2枚も作り、ライブ・ツアー
も頻繁に行っている。
 私は幸いにもこれらニコルスが参加した3回
の日本ツアーのライブを観ている。
 私は、その中でも特に印象に残っていること
がある。
 最初の日本でのライブの時のことである。
 私の座席は舞台に向かって左側の前から4
列目だった。
 ライブの終盤にウォルター・ベッカーがバンド
メンバーを一人ずつ紹介していくコーナーがあ
った。
 ベッカーが各々の担当楽器と名前をコールし
ていく。
 ベース、ホーン・セクションなどと進んでいき
最後はドナルド・フェイゲンを残すだけとなった。
 すると、次の瞬間ベッカーはこう言ったのだ。
「エンジニア、ロジャー・不滅の・ニコルス!」
 何とベッカーはロジャー・ニコルスもコールし
たのだ。
 その声に答えるように、舞台右袖でニコルス
が満面の笑みをたたえて大きく手を振るのが見
えた。
 写真で見るようなポロシャツのラフな格好だった。
 エンジニアまで紹介するのか!
 私は驚くと同時に嬉しくなった。
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 これは、2000年の来日時のもので左がニコル
ス、右がベッカーである。
 場所はいずれも名古屋駅前で二人が見上げて
いる巨大な足は名古屋の人気者ナナちゃん人形
である。 
 それでは、そのニコルスが手がけたライブアルバ
ムから「ブック・オブ・ライアー Book Of Liars」をお聴
きください。
 この曲では珍しくベッカーがリード・ヴォーカルであ
る。
 しっとりとした名曲だと思う。
 
 ロジャー・ニコルスさん、長い間ありがとうございま
した。
 あなたのおかげで私たちは至上のサウンドを体験
することができました。