不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

ジョニー・スミスが亡くなっていた。

 ネット・ラジオを聞いていた。
 「ジャズ・ギタリストのジョニー・スミスさんが亡くな
られました」(英語)
 ジョニー・スミスって、名盤”バーモンドの月”のジ
ョニー・スミスかな?
 だとしたら、もう結構なお歳だな。
 ネットで調べてみる。
 英字のニュースサイトによれば、スミスは6月11日
コロラド州の自宅で亡くなった。
 90歳だった。
 スミスは、スタン・ゲッツズート・シムズ、ベニー・
ゴルソンらトップ・ミュージシャンと共演をした。
 最も忙しいセッション・ミュージシャンとして引っ張り
だこだった。
 スミスの演奏は癖がなく、センスが良く、しかも過剰
な自己主張をしなかった。
 そんな彼のギタープレイは共演者たちに、歓迎され
たのだろう。
 だが、スミスは1958年にニューヨークを去ってしまった。
 そして山国であるコロラドに引っ越してしまった。
 これは事実上ジャズの第一線からは退くことを意味
する。
 1958年と言えばモダン・ジャズの黄金時代である。
 そんな時に何故スミスは、身を引いたのか。
 1957年、スミスの妻アン・マルガリータが第2子出産
の際に亡くなってしまった。
 死産だった。
 スミスは残された一人娘をコロラドに移住させた。
 コロラドにはスミスの母親が住んでいたのだ。
 そして、結局は娘と一緒に暮らすためにスミス自身も
コロラドに移り住んだ。
 「私は娘を愛していました。私のキャリアのために娘を
危険にさらすわけにはいかなかったのです」
 「他にも理由はありました。私はニューヨークの音楽シ
ーンは大好きだったけど、そこに住むのは嫌だったんです」
 移住後、スミスはコロラドの楽器店を買い取り、自身の
名を冠した店を開いた。
 音楽指導をしたり鱒釣りをしたりという日々を送った。
 メインは父親として過ごすことだった。
 スミスは地味なギタリスト、幻のギタリストとして扱われ
るが、その実生活は充実したものだったようだ。
 日本語の訃報は、一件しかなかった。
 それも、ジャズギタリストの個人ブログである。
 当ブログのこの記事がようやく2件目である。
 ジョニー・スミスらしい気がする。
 ベンチャース、チェット・アトキンス、シャドウズら
にカバーされた大ヒット曲のオリジナル演奏である。
 この曲の印税は、彼の暮らしを大いに支えたようで
ある。
 名ギタリスト・マンデル・ロウとの共演映像である。
 1985年の時点で、スミスは現役第一線の演奏力
をキープしていることが聞き取れる。