不二家憩希のブログ

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ドナルド・バード氏、ご逝去。その④

 1960年12月、ドナルド・バードはライブ・ツアーで
シカゴを訪れていた。
 だが、バンド・メンバーにはピアニストがいなかっ
た。
 デューク・ピアソンが病気のため脱退して以降、
ピアニストは不在のままだった。
 バードはシカゴでピアニストを現地調達しようと
した。
 その地のミュージシャンを臨時メンバーとして起
用するのだ。
 バードは、ライブハウス”バードハウス”のオーナ
ーから一人のピアニストを紹介された。
 ハンコックは大学在学中に、やはりライブでシカ
ゴに来ていたコールマン・ホーキンスと2週間共演
した。
 その経験が自信となってか「プロのミュージシャ
ンになろうと決意した。
 決意したところでミュージシャンの仕事が舞い込
んでくるわけでもない。
 ハンコックには大学卒業後、何ヶ月も仕事の依
頼が来なかった。
 自称・プロミュージシャンであって、レコード・デビ
ューすらしていない。
 あるのは、ホーキンスと2週間演奏したという経
験だけだった。
 ハンコックは途方に暮れていた。
 このままでは自称・プロミュージシャンである。
 収入の道もない。
 そこへ一本の電話がかかってきた。
 ライブハウス・バードハウスのオーナーからであ
る。
ドナルド・バードのバンドがシカゴに来ているんだ
けれど、ピアニストがいないんだ。お前、オーディシ
ョンを受けてみないか?」
 これは嬉しい電話である。
 チャンス到来かもしれない
 ハンコックは大喜びで家を出てライブハウスに向
かった。
 
 ~続く~