不二家憩希のブログ

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”ルグラン・ジャズ”とマイルス。

  フランスの作曲家・ピアニスト・ミシェル・ルグラン氏が1
月26日に亡くなった。(以下敬称略)
 ルグランは、大いに親しまれるメロディーの数々を創り出
した。
 若き日に既に大成功し、一生を巨匠として過ごした。
 私がルグランについて特に印象深いのは、マイルス・デ
イビスとの共演である。
 ルグランがリーダーのジャズ・アルバムに、マイルスがサ
イドメンとして参加したのだ。
 マイルスが、自己のバンド以外で他のミュージシャンと共
演することは極めて異例である。
 マイルスが生涯において他のミュージシャンのサイドを務
めたのは、デビュー時に加入したチャーリー・パーカー・コン
ボとこのルグランのアルバムだけと言えよう。
 ロックバンドTOTOのアルバムにも参加しているが、それは
ゲストではあるが事実上のリーダー扱いである。
 ルグランのアルバム”ルグラン・ジャズ”は、1958年ニュー
ヨーク録音である。
 マイルスの他にも大物ミュージシャンが参加している。
フィル・ウッズ、ハービー・マン、ポール・チェンバース、ハンク・
ジョーンズ、ドナルド・バードらである。
 こうして並べるとビッグネーム揃いであるが、1958年の時
点で大物と呼べるのは、マイルスとウェブスターくらいのもので
ある。
 他は当時はまだ若手もしくはただいま売出し中といったところ
である。
 コルトレーンは、マイルスのバンドで名を売ってはいたが、ま
だ評価は定まっておらず、ビル・エバンスも自身のライブのお
客の不入りを嘆くほどだった。
 そんな彼らを起用したルグランの眼力は流石である。
 調子に乗って指揮をするルグランとそれを後方から見ている
マイルスの表情のインパクトは大きい。
 
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