月26日に亡くなった。(以下敬称略)
ルグランは、大いに親しまれるメロディーの数々を創り出
した。
若き日に既に大成功し、一生を巨匠として過ごした。
私がルグランについて特に印象深いのは、マイルス・デ
イビスとの共演である。
ルグランがリーダーのジャズ・アルバムに、マイルスがサ
イドメンとして参加したのだ。
マイルスが、自己のバンド以外で他のミュージシャンと共
演することは極めて異例である。
マイルスが生涯において他のミュージシャンのサイドを務
めたのは、デビュー時に加入したチャーリー・パーカー・コン
ボとこのルグランのアルバムだけと言えよう。
ロックバンドTOTOのアルバムにも参加しているが、それは
ゲストではあるが事実上のリーダー扱いである。
ルグランのアルバム”ルグラン・ジャズ”は、1958年ニュー
ヨーク録音である。
マイルスの他にも大物ミュージシャンが参加している。
フィル・ウッズ、ハービー・マン、ポール・チェンバース、ハンク・
ジョーンズ、ドナルド・バードらである。
こうして並べるとビッグネーム揃いであるが、1958年の時
点で大物と呼べるのは、マイルスとウェブスターくらいのもので
ある。
他は当時はまだ若手もしくはただいま売出し中といったところ
である。
コルトレーンは、マイルスのバンドで名を売ってはいたが、ま
だ評価は定まっておらず、ビル・エバンスも自身のライブのお
客の不入りを嘆くほどだった。
そんな彼らを起用したルグランの眼力は流石である。
調子に乗って指揮をするルグランとそれを後方から見ている
マイルスの表情のインパクトは大きい。