ドナルド・バードはバンド・リーダーとして多くの
メンバーと活動を共にした。
1959年のある日、バードはベニー・ゴルソンや
アート・ファーマーのライブを聞きに行った。
そのバンドのピアニストのデューク・ピアソンの
演奏に感銘を受け、すぐに自分のバンドへの加入
を打診した。
ピアソンは要請を快諾し、バードのバンド・メ
ンバーとなった。
この時のバンドはバードのトランペットとバードと
アダムス、ベースのレイモン・ジャクソン、ジョン・コ
ルトレーンらとも共演歴のある
レックス・ハンフリーである。
ピアソンは、ピアニストとしての技量が高かった。
ピアノ・トリオを率いての名演は叙情性に溢れた
名演揃いである。
だが、何よりもピアソンを際立たせていたのは、
その作曲・編曲能力である。
ピアソンは実に素晴らしい曲を書いた。
一聴して憶えられるような親しみやすいメロディー
でありながら聞き飽きが来ない。
美しくも哀愁がある名旋律がピアソンによって生み
出されていった。
またアレンジャーとしても傑出しており、1960年代
骨格はピアソンが手がけたそうだ。
しかし、ピアソンは体があまり丈夫ではなかった。
そのため61年にはバンドを脱退することになってし
まった。
ピアソンがバードのバンドで活躍したのは、ごくわ
ずかな期間だった。
だが、その間に残された音源の数々はピアソンの
非凡さに満ちたものとなっている。
~続く~
今日ではジャズ・スタンダードとなっているピア
ソン作曲の「ジーニーン」