不二家憩希のブログ

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ドナルド・バード氏、ご逝去。その③

 ドナルド・バードはバンド・リーダーとして多く
メンバーと活動を共にした。
 1959年のある日、バードはベニー・ゴルソン
アート・ファーマーのライブを聞きに行った。
 そのバンドのピアニストのデューク・ピアソン
演奏に感銘を受け、すぐに自分のバンドへの加入
を打診した。
 ピアソンは要請を快諾し、バードのバンド・メ
ンバーとなった。
 この時のバンドはバードのトランペットとバードと
同郷デトロイト出身のバリトン・サックスのペッパー・
アダムス、ベースのレイモン・ジャクソン、ジョン・コ
ルトレーンらとも共演歴のある
レックス・ハンフリーである。
 ピアソンは、ピアニストとしての技量が高かった。
 ピアノ・トリオを率いての名演は叙情性に溢れた
名演揃いである。
 だが、何よりもピアソンを際立たせていたのは、
その作曲・編曲能力である。
 ピアソンは実に素晴らしい曲を書いた。
 一聴して憶えられるような親しみやすいメロディー
でありながら聞き飽きが来ない。
 美しくも哀愁がある名旋律がピアソンによって生み
出されていった。
 またアレンジャーとしても傑出しており、1960年代
における大半のブルーノート・レーベルのサウンド
骨格はピアソンが手がけたそうだ。
 しかし、ピアソンは体があまり丈夫ではなかった。
 そのため61年にはバンドを脱退することになってし
まった。
 ピアソンがバードのバンドで活躍したのは、ごくわ
ずかな期間だった。
 だが、その間に残された音源の数々はピアソンの
非凡さに満ちたものとなっている。
 
 ~続く~
 今日ではジャズ・スタンダードとなっているピア
ソン作曲の「ジーニーン」