不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

ドナルド・バード氏、ご逝去。その⑤

ディションした。
 この時ハンコックは20歳、コールマン・ホーキン
スと2週間だけ共演したことがあるというだけで、
本格的なプロキャリアは無かった。
 学生上がりの自称プロミュージシャン、実質ア
マチュアである。
 ハンコックは大変緊張し、自分がまともにプレイ
できているかもわからなかった。
 だが、バードはハンコックの演奏を気に入った。
 その3日後にはハンコックをバンドの正式メンバ
ーにすることを決定した。
「プロのミュージシャンになるつもりならニューヨー
クに出てきなさい」
「私のアパートに住めばいい」
 ハンコックはその言葉を頼りにニューヨークに出て
バードのアパートの居候となった。
 また、バードはハンコックをブルーノート・レコード
に紹介しアルバムが出せるように取り計らった。
 だが、ブルーノートのアルフレッド・ライオンはハン
コックにとって酷い条件を提示してた。
 録音印税はゼロ、原盤権利はブルーノートの買い
取り、レコーディングのギャラは100ドル、ハンコック
が作曲した曲はすべてブルーノート出版に著作権
管理を委ねる、というものだった。
 これは、レコードがどれほどヒットしようともハンコッ
クの手元には100ドルのギャラしか渡らず、著作権
も大半がブルーノートに持って行かれるということである。
 ブルーノートもえぐいことをしていたものだ。
 バードはそうした事情を予めハンコックに話し「自分
の曲は自分の出版社で管理している」と言い張れと
智恵を授けた。
 このアドバイスにより、契約交渉の末ハンコックの
著作権管理権はハンコックの元に残った。
 ハンコックがバードのバンドに加入し、少し経った頃
のことである。
 ハンコックはモンゴ・サンタマリアのバンドで臨時メン
バーとしてライブでピアノを弾いていた。
 ある日、バードがライブを聞きに来た。
 ハーフタイムにバードはハンコックに「次のショーで
”ウォーターメロン・マン”を弾いて見せな」と言った。
 ”ウォーターメロン・マン”はブルーノートのハンコック
のソロ・アルバムに収録されている彼のオリジナル曲
である。
 サンタマリアは”ウォーターメロン・マン”を多いに気に
入り自分のシングル曲として採用・発表した。
 これが全米ヒットチャートトップ10に入る大ヒットとなっ
た。
 これにより、ハンコックには莫大な印税が入ってくるこ
ととなった。
 著作権管理をブルーノートに任せたままだったら、申
し訳程度の額しか渡らなかったであろう。
 バードはハンコックにとって、音楽業界における恩人
となった。
 
 ~続く~