不二家憩希のブログ

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P・フォーク~コロンボ警部を生み出す。その②

 テレビドラマや映画の脚本の二つ目のケースは、
小説といった原作本が存在する場合である。
 脚本家はプロデューサーに指示により、原作本
を戯曲に脚色する。
 小説は、作品にもよるがセリフ・会話の数は少
ないことが多い。
 一方戯曲は原則的にセリフ・会話によって構成
されており、セリフによってストーリーが進行して
いく。
 脚本家は、”この登場人物なら、こういうセリフを
言いそうだ”という想定の元にドラマオリジナルの
セリフを創作していく。
 ここが脚本家の腕の見せ所である。
 だが脚本家の活躍が許されるのは、ここまでで
ある。
 原作には登場人物の人物設定が明確に成されて
おり、戯曲化に際し原作者の多くはその設定に一
切手を加えてはならないと言う条件を出しているこ
とが殆どである。
 作家によっては、戯曲化に際しかなり細かい点ま
で厳しくチェックする人もいる。
 セリフは新規に作ることが出来ても、人物像は原
作のまま再現することが要求されるのである。
 原作者が既に没し、著作権も切れている場合には、
こうした規制を無視して戯曲化してしまうこともあるが、
原作者健在の新しい作品の場合には、原作踏襲が
原則なのである。
 これを演じる俳優は、役作りの範囲が限定され自ら
の創造性が制限をかけられるということである。
 俳優は原作の忠実な映像化・実写化ということにエ
ネルギーを費やすということになる。
 それはそれで挑戦のし甲斐があることではあるが、
役に自分のアイディアを持ち込めないため、俳優の潜
在力を十分に発揮できずに終わることもある。
 大傑作の小説が映像化されても、意外なほどつまら
なかったりするのはこのためである。
 
 ~続く~