不二家憩希のブログ

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フォーク版”刑事コロンボ”の誕生 その27

 当ブログでは”刑事コロンボ”のコロンボ警部像を作
ったのは、60%~70%はピーター・フォークによるも
のである、と主張してきた。
 これは、多くの証言を元にした数値であり、推測の
域を出ない。
 原作者コンビサイドにしてみれば、「コロンボ警部を
作ったのは私たちだ」と譲らないだろう。
 だが、初代のコロンボ警部のバート・フリードや2代
目のトーマス・ミッチェルが演じたコロンボ警部とは大
きくかけ離れたコロンボ警部をフォークが演じることに
より、コロンボ警部は世界的な人気者となった。
 そのコロンボ警部像は、フォークが原作者との争い
の中から育まれていった。
 原作者サイドは、フォークの撮影所への立入禁止と
いった実力行使までして力を見せつけ、フォークを従
わせようとした。
 しかし、フォークはそれには屈しなかった。
 フォークにはそのような異常事態にあっても、冷静に
状況を見つめていた。
 どうして、そんなふうにしていていられたのだろうか。
 それは、フォークは普通の人とはちょっと違った感性、
性格の持ち主であるということによる思われる。
 これは良い意味にとれば「非凡」あるかもしれないが、
ある意味「空気が読めない」「ちょっと変人」ということ
でもある。
 このことについては、タイトルを改めていずれ記したい
と思う。
 さて、コロンボ警部像における原作者サイドの影響力
はどの程度だったのだろうか?
 原作者コンビがコロンボ警部についての人物設定が
元々はどのようなものだったのか?
 それは俳優やスタッフに配られた脚本を読んでみれ
ば判るであろう。
 その脚本と作品として完成した”刑事コロンボ”を見比
べてみれば、フォークのアイディアがどのくらい反映され
ていたのかが明白になる。
 脚本と違う点は、全てフォークの提案により変更された
ものだからである。
 しかし、”刑事コロンボ”の脚本が世の中に出てくるこ
とはあるのだろうか?
  いずれ何かの拍子にオークションか何かで私たちの前
に姿を現すかもしれない。
 私は、是非その脚本を読んでみたい。
 そこには、フォークの非凡なる才能が脚本の空白にこそ
読み取れるからである。
 
  ~続く~