不二家憩希のブログ

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伯父から荷物が送られてきた。その④

 伯父は進物の品に自家栽培の米をよく使っ
ているようだ。
 昨年も送ってくれたし、父や母の葬式の時
にもお米を持ってきてくれた。
 冠婚葬祭とどんな時でもお米を持っていっ
たり、送ったりしているようだ。
 日本では、お米を贈り物に用いるというの
は、実に少ないと思う。
 稲作自体は太古の時代から行われてきてい
て、米は日本人には最も身近な食材である。
 だが、それを進物にしようという考え方は
殆ど定着してこなかった。
 もちろん、疲弊した経済状況にある家庭な
どに米を贈るということは、わりと今でもあ
ることなのだろうが、それは進物とは少々ニ
ュアンスが異なる。
 それにそういう時にお米を贈るという際に
は、こっそりと贈られるというのが殆どだと
思う。何故かこっそりと、なのである。

 日本の食卓には米が欠かせないと思うのだ
が、どういうわけかそれが進物にならない、
というのは不思議な気もする。
 お米の進物というものがまったく存在して
いない、と言うわけではない。
 お米のギフトというのは存在している。
 お米券と言うのもある。
 だが、それほど普及していない。
 お米は必需品なのに進物には起用されにく
いのである。
 たとえば最高級のお米が中元や歳暮でもら
えたら、とても嬉しいと思うのだが、そうは
なっていない。

 進物に採用されている他の品々が、メーカ
ーによる長年の必死のセールスによって今の
地位を築いてきたことを考えると、ひょっと
したら米業者の努力が、まだ足りないのかも
しれない。
 お米のギフトのTVCMなんて見たことも無い。
 有名タレントを起用してCMを製作、放送す
ればかなり広まるのではないだろうか。
 そんな簡単なものでは無いだろうが、かつ
てハムのメーカーはハリウッド・スターでCM
を打っていた。大変なお金がかかったそうで
ある。
 やはり、ある程度のことはしなければ普及・
定着にはつながらないようである。

 あるいは、お米のギフトは日本人にとって
ストレートな感じがし過ぎるのかもしれない。
 お米では、進物が持つ一種の奥ゆかしさが
出せないので、日本では敬遠されているのか
も知れない。

 ちなみに、この伯父は実質主義の虚飾のま
るで無い人である。
 おそらく、この人柄がお米を進物に使って
いるのだと思う。

 ~明日に続く~