不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

横綱というビジネスの道具

 相撲の某横綱の報道が連日行われているが、この横綱
いう制度には問題があると思う。
 横綱は現役を退くまでその地位を保証され、その代わり
常に最高レベルの相撲内容・成績を求められている。
 横綱と言えども人間なので、調子が悪い時もあると思う
のだが横綱にはそれが許されていないのだ。
 他のスポーツや格闘技では、頂点に立つ者は常に流動的
でありその時点で最も良い成績を残している者がチャンピ
オンになっている。
 だが、相撲界ではそうではない。
 誰が頂点に就くかは興行側が決定するのである。そして
その地位とギャラを保障してしまうのである。
 これでは競技としての公正さを欠いてしまっている。
 横綱と言えども不調なときもあろうに常に好成績を要求
すると言うのは、おかしい。
 チャンピオンを固定しておいて、それとは別に場所ごと
に優勝者を決める、というのは矛盾している。
 相撲界では優勝者がチャンピオンではないのだ。
 奇妙な世界である。 
 こんなことは他のスポーツの世界ではありえない。
 異様なことと言っても良い。
 これを番付八百長と言う。

 横綱とは興行のための装置であり、興行ビジネスの道具
のひとつなのである。
 横綱がしっかりしていてくれなくては困る、というのは
相撲界とNHKくらいのものである。彼らには相撲が興行とし
て面白く機能してくれなければ都合が悪いのである。

 そして、横綱には品格が必要、などと言って精神論を持
ち出して商売をカモフラージュしてしまうのである。
 精神論を持ち出して金儲けを上手に美化したつもりの商
売人は世の中には沢山いるが相撲界もその例に漏れない。
 相撲界も実は狡猾で、彼らが真に拝んでいるのはお金で
あることはいうまでもない。
 かつて土俵の下に金が埋まっている、と言ってハッパを
かけた親方もいたが彼らの本音はそんなものである。

 精神論を持ち出したり、これは神事だとか言う人間には
大いに気をつけたほうが賢明である。彼らは何かを隠そう
と必死なのである。

 騒動を起こしている某横綱が母国ビジネスに夢中なのは
決して偶然ではない。
 人は何かに利用されると、いつかは逆の立場に立ってみ
たくなるものである。