不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

遺族慣れした私

 夜9時過ぎ電話の呼び出し音がする。
 こんな時間にセールスの電話ではないだろうし、さ
て誰だろう?と受話器を取る。
「老人会の○○ですが」
 老人会?えー、私に何の用事かと思っていると、
「今度、老人会で無くなった方の供養をしますので、
お名前の確認をしたいと思いますので、そのお電話で
す」
 あー、そうか。町内の老人会では亡くなった人の追
悼供養の集いを年一回、行っている。
 私は、昨年、父の遺族ということで一度出席してい
る。
 今年は、母の供養ということか。

 老人会の供養の会というのは、なかなか胸に迫るも
のがある。
 これは、友人が本当にお別れをする、といった気持
ちが感じられるのだ。しかも、参列しているのが、遺
族の他は、皆お年寄りである。
 町内の長老が集合しているのだ。
 これは、ちょっと他では見られない光景である。

 今の年寄りは、歳はとっていても、元気だし多方面
において力もある。
 自分では隠居です、とか言ってはいるが、実態は違
う。行動力は、平日の労働でグロッキー気味な若い世
代よりもはるかにある。

 私の両親は、老人会では若手だった。
 母は、自分で、あの中では最年少だ、とか言ってい
た。

 電話口の老人会の世話役の方は、父との思い出を語
ってくれた。
 意外に家族以外の人の方が、その人の素顔を見てい
たりする。そんなエピソードだった。

 日々の暮らしに忘れかけていたが、私はまだ遺族だっ
たのだ。
 いまだ遺族扱いの私。
 もうしばらくは遺族でいななければならないのか。
 遺族っていつまでなのか?

「では、日が近づきましたら案内状を持って伺います」
 世話役さんの口調は、若造の私にも丁寧だった。
 私は恐縮して受話器を置いた。