朝6時半頃、私は掃除機をかけていた。
外を見ると老人のご夫婦がちょうど我が家の前を通り過ぎるところだった。
このご夫婦は毎日大体これくらいの時間に散歩をされているのだ。
私はご夫婦と記したが、この方達とは面識が無い。
そのため正確なところはわからない。
私はその様子からおそらくご夫婦だろう、と推測しているのだ。
そのご夫婦の向こう側から、お一人のおばあさんが歩いてこられた。
「まぁ、久しぶり」
二人のおばあさんが同時に声をかけた。
それからお二人の会話が始まった。
旦那さんは横で聞いていたが、ほどなく先に歩いて行ってしまった。
それからもおばあさん達のおしゃべりが続いた。
私は掃除の次の用事にとりかかった。
私も耳を澄まして二人の会話を聞いていたわけではない。
だが、少しだけだが話の断片が聞こえてくる。
「呼ばれた人と呼ばれていない人がいる」
「出席した人は良いけれど、そうでない人はどうすrのかねぇ?」
なるほど、今日は敬老の日である。
当町内でも小学校において敬老の日の催しが行われる。
そういえば昨年、当班のSさんが「私は呼んでくれなかった!」と一騒ぎがあった。
こういう話はよくあるのだろうか。
敬老の日の催しは市の主催ではあるが、その出席者の確認は町内会に任されている。
そのため町内会で見落としがあれば呼ばれない、ということになってしまう。
町内会は公的なものではあるが、常に万全とは言えない。
気を抜いているわけではないだろうが、持ち回りなので仕方なくやっている人もおられる。
加えて最近は個人情報保護法の関係で、名簿の作成が制限されている。
正確な名簿が手に入り難いのだ。
個人情報保護法は地域の絆も薄めてしまっているのだ。
そんな環境下で漏れなく該当者に招待状を出すのは難しいと思う。
しかし、悪い条件が重なり呼ばれなかった人は大いに傷つく。
「私は市から無視された。地域社会から除け者にされた」と思ってしまう。
こうなってしまった人をなだめて納得してもらうためには、大きな手間とエネルギーが必要となる。
社会においては個人情報保護法の柔軟な運用が求められていると思う。
地域社会における老人の孤立化は、一種の人災なのだ。
その後ふたりのおばあさんは延々と話を続け、7時15分まで話していた。
6時半から7時15分までである。45分間である。
朝の時間帯の45分間は大きい。
やはりこの”見落とされ招待されない老人の問題”は大きいのだろう。
このまま放っておいて良いことだとは思えない。