不二家憩希のブログ

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お祭りに参加した。2023年 その⑨

 当地のお祭り集会所には、酒好きが集まる。

 皆さん、お酒が好きだなぁ。

 昼食の時も隣席の方が「俺は毎日3合は飲んでいる」と威張った感じで話していた。 

 豪語と言う感じである。

 自嘲的なニュアンスはゼロである。

 いずれアルコール依存症になうだろう。

 否、もうなっているのかもしれない。

 さて、午後6時過ぎのお祭り集会所は、すでに出来上がった人たちが、なおも体内のアルコール濃度を上げようとしている。

 呂律はかろうじて回っているが、酔っ払った人の喋り方である。

 そこへ、男性一人が来られた。

 70代くらいで、飲んでいる方たちとは、特に親しいようだ。

 幼馴染で、生涯の大半をともに過ごした間柄のようだ。

 名字で呼ばす、名前で呼ぶので、何という名前なのか、私にはさっぱりわからない。

 その男性は素面である。

 ここでは素面さんと呼ぶことにしよう。

 「おぉ、座ってまぁ飲めよ」

 お友達の男性が紙コップを差し出してビールを勧める。

 「いや、最近体の調子が悪くて、30分に一回はトイレに行っているんだよ。頻尿でな」

 男性の声はトーンが低い真剣さが感じられる。

 「それで医者で検査したんだけれど、原因不明なんだよ」

 素面さんの言葉を受けて、お友達の一人が言った。

「そんな暗い話は止めて、まぁ飲めよ」

 他の男性も、賛同し酒を勧める。

 素面さんは、挨拶がてら最近の体調不良を報告しに来たようだ。

 そして、幼馴染たちに何か優しい言葉でもかけてもらえるのでは?とお祭り集会所に来たようだった。

 だが、素面さんの心積もりは、打ち砕かれた。

 幼馴染のうち一人として、素面さんの体調を心配する人はいなかった。

 素面さんの落胆は、傍で見ている私にはハッキリと伝わった。

(古い付き合いだし、わかってもらえるだろう)と思って来てみたけれど、誰もマトモに受け取ってくれない。

 酒に酔っているとは言え、あんまりである。

 幼馴染たちは、素面さんに酒だけではなく老人会の入会も勧めてきた。

 老人会の主要行事は旅行である。

 旅行に行って道中のバスの車内で飲酒、現地で飲酒、帰り道で飲酒である。

 飲み友達を一人でも多く確保したいのである。

 酒を飲む理由付けのための関係のようにも見える。

 あぁ、何と薄っぺらい関係であろう。

 元気に飲めるうちは楽しく飲むが、そうでなくなったら、心配もしてくれない。

 素面さんの声のトーンが悲痛なものになってきた。

 孤独を訴える心情が手にとるようにわかる。

 しかし、このお祭り集会所で、理解を示しているのは、同じく素面の私だけであろう。

 酒に酔うことにより、自らのエゴが顕在意識を占領し、自分が楽しいと感じることのみに反応するようになっている。

 彼らに思いやりを期待する方が間違っているようだ。

 アルコールはもミュニケーション・ツールとしては有効な部分もあるが、それも僅かものでしかないように思う。

 その人のエゴを外部から再認識するためには、飲酒は効果的に機能する。

 しかし、エゴの検知はアルコール摂取をしなくとも可能である。

 飲酒の意義とは何なんだろうか?

 ~続く~