「報われない努力があるとするなら、それはまだ努力とは言わない」
この言葉に感動する人がいる一方、反発を覚える人もおられる。
私は反発し異論がある。
この言葉が、どの様な文脈で発せられたかにもよるかもしれないが、明らかにこの一文で完結しており、この一文だけをもって論ずることにする。
この王氏の言葉は間違っている。
「報われない努力」という考え方からして誤りである。
努力の前提条件としての望ましい結果、果報を想定している。
果報前提の行為は、人を下方に引きずり落とす力を持っている。
打算が、その行為と人を汚すのである。
この下方に働く力は人知を超えている。
地面に打ち付けられ人の精神を破壊する。
この力に人は抗することはできない。
人を蝕み成長を止めてしまう。
だが、当人はそれには気が付かない。
地面に叩きつけられているにも関わらず、である。
果報を得て有頂天になっているため理解力が機能しないか、最初から理解力が乏しいからである。
結果を見越した努力は不純なのだ。