「等身大の像」といった像がその作者や題材にゆかりの地に建てられることがある。
今回のようなブラック・ジャックだったり、”男はつらいよ”の車寅次郎だったり、機動戦士ガンダムだったりする。
私は、これらを見て内心嗤っている。
いずれも架空の存在である。
そうしたものの「等身大」って、一体何だろう?
作者が頭の中で思い浮かべて作り出したものに過ぎない。
それの「等身大」ってどういうことだ?
存在していないものの「等身大」とは、どういうことだ。
車寅次郎は、まだ良い。
演じた渥美清の身長が等身大ということなら、「まぁそうなのだろう」と思える。
だが、ブラック・ジャックもガンダムも、この世には存在していない。
頭の中にいるだけである。
頭の中、つまり記憶の中に存在しているだけである。
それは、ただの記憶でしかない。
それの「等身大」である。
実にナンセンスではなかろうか?
以前、リアルの場でガンダム・ファンの人に話したことがある。
「実物大のガンダムの像を見てきた」と興奮していたのだ。
私は、冷風を浴びせかけたのだ。
ガンダム・ファンのその人は、一瞬でシュンとしてしまった。
あぁ、私は意地悪である。