太陽直視の40分が終わった。
私がこれを行ったのは、悟りのためである。
それ以外になにか起こったとしても、それは副次的なものでしかない。
目的は悟りなのだ。
では、その”究極の悟り”は得られたのか?
ノーだった。
私は40分が終わったら、即座に悟りが訪れると思って
いた。
この太陽直視を提唱した人はそう言っているではない
か。
私は考えた。
(これは40分では短いのかもしれない)
私は日を改めて太陽直視をすることにした。
今度は時間を延長して60分とした。
40分で悟れるというところを60分にすれば、いくら私が
程度が低い人間でも悟れるだろう。
そして、60分の太陽直視を決行した。
今回も悟ったような実感はない。
う~ん、これはまだまだ時間が足りないのだな。
私はそう考えて次も20分増やして1時間20分行うこと
にした。
この時もダメであった。
おかしいなぁ。
こんなに長くやって悟れないとは、どういうことなのだろ
うか?
この方法を提唱した人は、世界的に著名な人物だった。
碩学として知られ、古今における膨大な知識を有してい
るとされた。
この太陽直視も古代からの知恵を匂わせるニュアンスで
語られていた。
まぁ、もう少しやってみるか。
私は太陽直視を続行することにした。
~続く~