当ブログでは時々お通夜・告別式に参列した時のこと
を記している。
普通のブログではまず書かないことだ。
私は通夜・告別式に参列するたびに、死について考える。
それらの弔事は、死を考える契機となる。
死、それも自分の死である。
(自分はいつまで生きるのだろう?)
(スムーズに亡くなることができるだろうか?)
そうしたことを改めて思う。
会場で座りそうしたことを瞑想すする。
他の参列者はその多くが騒がしい。
何かハイになっているようだ。
これは心理学的にも指摘されていることで、他人の死に
直面するとある種の高揚感に心が奪われてしまうようだ。
これは無意識的な心理行動とされている。
死について直視することができず、無意識に逃避し、そ
の上にハイになって己を誤魔化しているのである。
無意識ですら死を避けているのだ。
だが、それでは駄目なのだ。
そうした逃避を繰り返していては、人は一生成長はでき
ない。
それこそ「死ぬまで」進歩がないのだ。
己の死を直視しすることから人は初めてスタート位置に
つくのである。