不二家憩希のブログ

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三日目はドボルザーク。

 NHK-FM「あなたの知らない作曲家の素顔」3日目は
チェコのアントニン・ドボルザークだった。
 私は、これまでドボルザークがあまり好きではなかった。
 美旋律満載の大作曲家であることは、認める。
 だが、その音楽は泥臭すぎるように感じてしまう。
 そして、ウエットすぎる。
 楽譜を絞ったら水滴が落ちるのではないか、と思ってし
まう。
 そんな先入観を持ったうえで、この番組を聞き始めた。
 ドボルザークは、音楽好きの両親のもとに生まれたが、
それは楽しみとしての音楽愛好家であり、将来音楽家
志すような環境ではなかった。
 生家は肉屋と旅館を兼業する家だった。
 父親は息子を小学校から中退させた。
 そして、家から30キロ離れたズロニツェという町に住む
アントニンの母方の叔父の家に肉屋修行に出した。
 精肉の技術を習得させるためである。
 叔父は親切な人でアントニンが音楽を勉強する手助け
をしてくれた。
 学校にも通わせてくれた。
 そこで名教師リーマンに会うことになる。
 リーマンはアントニンの音楽の才能を見抜き、音楽理
論や奏法やドイツ語も教えた。
 叔父とリーマンがいなければ、アントニンは作曲家には
なっていなかったであろう。
 父親は、アントニンを肉屋にすることしか頭になかった。
 そこを叔父とリーマンがアントニンにさらなる音楽の勉
強を指せるように働きかけたのだった。
 数年に及ぶ説得により、ついに父親は折れ、アントニン
は晴れて本格的に音楽の勉強を始めることになる。
 16歳のことであった。
 大作曲家で、こうした音楽生活のスタートは珍しい。
 他には聞いたことが無い。
 武満徹は教育どころか、独学なのでケースとしては異な
るだろう。
 アントニンは少しずつ音楽的な成長を始めたのだった。
 その歩みは着実ではあったが、社会的な成功からは遠
い位置に置かれ続けた。
 そして33歳になり、オーストリア国家奨学金に応募し、
採用される。
 この時審査員を務めていたのがブラームスである。
 ブラームスはアントニンを大絶賛し擁護した。
 この時からアントニン・ドボルザークは急速調に発展し
ていく。
 シューマンブラームスドボルザークという流れとなる。