不二家憩希のブログ

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キース・エマーソン、ヒナステラと会う。

時代に、クラシックの作曲家の曲を多く取り上げている。
 クラシックの曲をロックのバンドサウンドにアレンジし
演奏した。
 クラシックの中でも近現代の作曲家の作品を積極的
に取り上げている。
 アルゼンチンの作曲家ヒナステラもその1人である。
 ピアノ協奏曲第一番第4楽章をシンセサイザーを駆使
し、
 その曲は「トッカータ」というタイトルで「恐怖の頭脳改
革」に収められている。
 この当時ヒナステラは、クラシック音楽の作曲家ではな
く、大衆音楽の作曲家とみなされていた。
  大物作曲家であるが、クラシック音楽ではないだろう、
というのが大勢だった。
 クラシックの作曲家として認知され始めたのは、21世紀
に入ってから、それもここ数年のことである。
 エマーソンは、曲をカバーし発表するにあたり、ヒナステ
ラ本人に会って承諾を得ようと考えた。
 アルバムリリース前に、礼を尽くそうと思ったからだ。
 普通のミュージシャンはエージェントなどを通して許可を
得るのが普通である。
 自分で会いに行くところが、エマーソンの折り目正しい性
格格が表れている。
 当時ヒナステラはスイス在住で、エマーソンはマスター
テイクのテープを持って会いに行った。
 ヒナステラは上機嫌で演奏を聴いた。
 そして、こう言った。
 「デモーニッシュだ」
 デモーニッシュ?
 なんだそりゃ?
 エマーソンは、デモーニッシュの意味が分からなかった。
 直訳すれば「悪魔的だ」である。
 悪魔的ということは喜んではいないのか?
 だが、ヒナステラは嬉しそうに見えた。
 う~ん、どういうことだ?
 エマーソンは混乱し、帰途もそのことが気になって仕方
なかった。
 デモーニッシュとは、クラシック音楽を表する際によく使
われる表現である。
 ゲーテは「デモーニッシュなものとは、悟性や理性では
解き明かしえないもののことだ。生来、私の性格にはそ
れはないのだが、私はそれに支配されている」と語っている。
 音楽学者アルフレート・ホイスは、この概念の特徴を
「唐突なもの、計算できぬもの、悟性によってコントロール
し得ぬもの」とした。
 デモーニッシュとは、音楽においては最上の褒め言葉な
のである。
 エマーソンは、ずいぶん後になってこのことを知り、ホッ
としたそうだ。