不二家憩希のブログ

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エンジニア・ロジャー・ニコルス氏、ご逝去。その⑦

  ニコルスは1980年初頭からデンバーの作品
のエンジニアリングに携わるようになっていた。
 これは80年にスティーリー・ダンが解散を発表した
ことも関係があるものと思われる。
 70年代を通じ、ニコルスはスティーリー・ダンをメイ
ンに担当していた。
 特に70年代の後半、スティーリー・ダンはライブ活動
を停止してしまった。
 これはプロモーターといろいろと、うまくいかなかった
り、巡業中の暮らしが気に入らなかったからだと思わ
れる。
 スティーリー・ダンが、当時何故ライブ活動を止めて
しまったのか?については、真相はよくわからない。
 かつては「過酷なツアー生活に体力が持たない」と
彼らが言ったとされる。
 だが、それから35年以上経った現在、何と彼らは
全米ツアー中なのである。
 それも全米各地を隈なく回っており日程もかなり密
である。
 当然彼らも年齢を加えている。
 今や初老のロック・ミュージシャンである。
 不摂生とはいえ当時は20代である。
今の方が体力があるとは思えない。
 やはり中止の理由は体力ではなかったのだろう。
ドナルド・フェイゲンは悪人ではなかろうが、少々気難
しそうな人達なのである。
 才能は際立っているけれど、友人にしたいようなタイ
プの人達ではないように見える。
 私は彼らがプロモーターらと揉めたからではないか、
と推測している。
 さて、スティーリー・ダンはそして1年中スタジオに籠
もってレコーディングをするようになった。
 当然、そこにはニコルスも参加していた。
 スティーリー・ダンの録音の合間を縫って他のミュー
ジシャンも手がけてはいたが、大きな時間はとれなか
った。
 それが、スティーリー・ダンの解散に伴い、時間の余
裕が出来た。
 ニコルスとデンバーは、この80年頃に出会ったもの
と推測される。
 二人は意気投合し、プライベートでもつきあうようにな
った。
 アウトドアライフ好きという嗜好も一致してか、二人は
連れ立って釣りをしたりハイキングに出かけたりしたそ
うだ。
 時には一緒に海外旅行にも行ったそうだ。
 これは、大親友といっても間柄である。
 私はエンジニアとミュージシャンがそういう関係になる、
ということを初めて知った。
 
 ~続く~