お隣のKさんが、お彼岸のお供えを持ってきて下さった。
私は、隣人には恵まれている。
何人かの知人とも話したのだが、ご近所さん良い人である、という
ことは,なにものにも代えられない幸運である。
近隣、特に隣の人がとんでもない人であったら、これは災難である。
不動産を購入する際、不動屋さんは、公共交通機関の便が良いとか
スーパーや商店街が近くにある、とかはアピールするものの、ご近所
さんが、皆、良い人です、とは言わない。言いたいかもしれないが、
こればかりは、表記不可能であろう。
本当は、隣近所にどんな人、家族が住んでいるかは、極めて重要な
事項ではあるが、これは、そこに住んでみるまでは、分からないのが
殆どであろう。
賃貸であったら、また引っ越せばすむが、土地ごと買ってしまうと
そういうわけにもいかない。
かといって、興信所を使うか、といえば、それも何だか失礼な気が
するし、費用も言い値で寄り切られてしまいそうである。それに、ご
近所さんが善良な方々か?といったことに興信所が判定を下せるのだ
ろうか?という疑念も生じてくるだろう。
世間様はこの問題に対して、どう対処されておられるのであろうか?
漠然とした評判だけで、購入を決定してしまうのだろうか?
それとも、運に任せるのか?
そんなことを考えながら、昨年、相次いで急死した両親の仏前に、
美味しそうなおはぎを供えた。