いつもの集いに行ってきた。
常連出席者のTZTさんが、明日午後手術を受けるそうだ。
何故それを知っているのか?
毎回の行事の際に配布される週報に記載されていたからである。
「手術が滞りなく終わるように祈りましょう」とのことだ。
う~ん、個人情報の扱いとかは、どうなっているのだろうか?
当人が「皆には知らせずに内密に」ということであれば、この情報は伏せられていたことだろう。
「皆に知ってもらって祈ってほしい」という希望なのだろうか?
行事の終わりに墨子のリードでTZTの治癒が皆で祈ることとなった。
こういうことは、仏教や神道ではちょっと考えられないことである。
私には異文化的な印象である。
外国の宗教という感覚になる。
このあたりは、日本で☦️が、なかなか広まらない要因の一つかもしれない。