いつもの集いに行ってきた。
朝7時を過ぎると日差しが強くなり、内心(行きたくないな。お休みしようかな)と思わないでもない。
だが、そこは龍角散の粒で数粒ほどの私の克己心を奮い立たせて出かけることにした。
今日は、どなたも境界到着が早かった。
少しでも早く家を出た方が、涼しいからではなかろうか?
会い難いことに境界は、エアコンが効いていて涼しい。
これがエアコンが無ければ、私の出席率は大幅に小さくなることであろう。
さて、NZさんは、お休みだった。
先週の日曜日もお休みだったので、2週連続である。
次回出席時に、どなたかが「NZさん、先週お休みだったね」と声をかけると「あ?
そうだった?もう忘れちゃった」と涼しい顔である。
5分~10分ほど前のことも忘れてしまうNZさんである。
先週のことを尋ねるほうが間違っているのかもしれない。
いずれにせよ、NZさんに認知症の病識はゼロである。
自分が認知症の真っ最中であるということが、NZさんには、わかっていない。
これは、ある意味幸せなことなのかもしれない。
自身の認知症を思い悩むということは、一切無い。
あっけらかんとしている。
「認知症になったら困る」とも度々発言している。
自分のことを、自分でわかっていないということは、幸せなのだろうか?
不幸なのだろうか?
NZさんを見ていると、いつもそう思う。
NZさんの急速な認知症の悪化は、新型コロナワクチン接種によるものだろう。