今週、懸案だった作業を終えた。
雑草抜きである。
我が家の庭ではない。
別の場所である。
当ブログでは、「あれをやった」「これをやった」と家事や作業についてのブログ記事を時々投稿している。
それらの多くは嫌々、もしくは仕方なくやっている、という姿勢で取り組んでいる。
そうした作業の顛末をブログ記事で敢えて記録している。
抜いても抜いても生えてくる。
自然との戦いである。
戦いと思えているうちは未だ良い。
時には「自然界からの嫌がらせか?」と思えてくることがある。
私がどんなに頑張っても自然には勝てないと思い始めると気持ちも落下していく。
何とかそういう思いに陥らないように気をつけている。
懸案の場所は、我が家からは離れている。
しょっちゅう行ってこまめに抜いていれば、どうということはない。
だが、それが出来ないのだ。
面倒なのだ。
わざわざ行って、草だけ抜いて帰ってくるということがしたくないのかもしれない。
「要は怠け心じゃないのか?」
そう、その通りである。
わかってはいる。
わかっていても、出来ないことはあるのだ。
実は、その場所は5~6年放置していたことがある。
否、6~7年だったかもしれない。
それをある人に注意され、昨年、雑草抜きに行った。
恐ろしいほどの状況になっていた。
私の背丈を超えるそうなほどの雑草が生えていた。
野良猫が巣にしていた。
高く生えた雑草が密集し、雨よけになっていたのだ。
この時の処理は大変だった。
それ以来、毎年雑草の処理をすることにした。
寒気と水不足で枯れる。
だが、低温や水不足でも生き残る多年草の雑草がある。
それらは強い。
年を超えると更に頑丈になり、定着し成長する。
これを何年か繰り返すと、雑草を超えて灌木に変容する。
広義では雑草だが、事実上、草とは言えなくなる。
手で抜こうにも根をしっかり張っており、抜けないのだ。
これは悪夢である。
昼間に見る悪夢である。
あのような体験はしたくない。
~続く~