当ブログに先日頂いたコメントで「お願い事をすることが
信仰と勘違いしています」とあった。
これはその通りである。
神仏に願い事をすることが信仰の中心であると思っている
日本人は多い。
寺社に参拝し賽銭を入れ願い事を祈る、これで信仰は完結
したと考えている。
(だから私は宗教的な人間だ)と思っている。
これは正確ではないなぁ。
神仏に願い事をすることは信仰生活の部分ではあるが、全
体ではない。
神仏への祈願は信仰生活の一部分でしかない。
祈願したからと言って満足してしまうことは、後に高慢心
を生みかねない。
(私は寺社に参拝し祈願をしているから十分宗教的な人間
である)
そう信じてしまうと、そこで進歩は止まる。
自分を十分に宗教的であると思うことは自惚れを呼ぶだけ
である。
おっと、私ごときが偉そうなことを記してしまった。
彼らも神仏の存在を認めて祈願しているのだから、いずれ
そこから一歩前進する日が来るかもしれない。