不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

人生は罰ゲームである。

 人生には罰ゲーム的側面がある。
 罰ゲームとは何か?
 デジタル大辞泉には”ゲームや勝負事で負けた人が罰
としてやらされる行為”とある。
 大辞林第三版には”勝負で負けた人が、罰として行うこ
と”とある。
 ウィキペディアには”ゲームの敗者に与える罰のこと。罰
ゲームを行うこと自体が目的でゲームが行われる場合もあ
る”とある。
 では人生におけるゲームとは何か?
 それは生まれてくること、この世への誕生そのものである。
 「では、誕生というゲームに勝った人、勝者がいるのでは?」
という問いが出るかもしれない。
 この世への誕生において勝者はいない。
 誰もが敗者である。
 これをキリスト教では”皆が罪人”と言い表している。
 神道においては、穢と表現される。
 ヒンドゥー教~仏教においても同様の考え方はある。
 人間は誰もが罰ゲームを課せられている。
 だが、罰ゲームはゲームである。
 所詮はゲーム、遊戯なのだ。
 肩の力を抜いて挑めば良い。
 深刻になる必要はない。
 笑って取り掛かれば良い。