不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

天龍夫人の手記.

 11月15日、プロレスラー天龍源一郎選手が現役を
引退した。
 夫人の嶋田まき代さんがインタビューに答えている。
(以下敬称略)
 夫人が人前に出ることは稀で、これほど多くを語っ
たことは過去にはなかったと思う。
 ここにその全文を引用する。
 天龍がプロレスラーとして常に全力を出すことができ
たのは、夫人の多大なる協力があったからこそ、という
ことは多くのファンが承知している事実であろう。
 天龍が全日本プロレスを脱退して以降、夫人は設立
した新団体の経理を担当し支えて。
 以下のインタビューでは、これまで公になることがなっ
た微妙な心の動きもうかがえる。
 天龍が決して語ることがないであろうデリケートなエピ
ソードも語られている。
 
 結婚から33年間はあっという間でした。お相撲もプ
ロレスもまったく知らないまま一緒になって。当時『プ
ロレスラーって何人いるの?』って聞いたら、『女子を
入れて100人いない』っていうから、この人は1等賞
を目指せるって思いました。今は1番じゃなくて全体の
30、40番でも、1番の扱いをしようと。だから豪快な
ことをやっても怒ったこともないし、すねて実家に帰っ
たこともありません。

 結婚直後から4、5年は特にやりくりが大変でした。
1試合のファイトマネーの3倍、4倍を飲み代に使うか
ら。私も働いたし、質店に通ったりしました。質店では
保険証には全日本プロレスって入ってるから、免許証
を出して気をつかってね。『夢を売る商売』がうたい文
句だからしょうがない。天龍からもらった時計や指輪も
持って行きましたよ。お店の人に『流さないでね』って
言いながら。

 ウチでは娘(紋奈さん=天龍プロジェクト代表)が(83
年に)生まれても天龍が1番でした。面と向かって大げ
んかしたことは1回もありません。もちろん、手を上げら
れたことはないですし、1回でもされたら離婚と思ってい
ました。昨日(引退試合前夜の14日)もいびきをかいて
普通に寝てましたけど、家では何もできないです。『パン
ツどこ?』『Tシャツは?』『カミソリは?』って毎日。電球を
替えたりするのも私。最近、ようやく手伝ってくれるように
なって、電球を替えるために私が乗ったイスを支えてくれ
ました。携帯電話はもちろんガラケーですけど、メールは
打てて、絵文字も入ってくるかな。

 滑舌のことを言われてますけど、私も聞き取れないとき
があります。SWSができたころからガラガラだから、20
年は経つかな。昔はもっときれいな声で、歌も歌えたのに
ね。ラリアートとかの技をのどに受けたのと、お酒が原因
でしょうね。

 引退は会見(2月9日)の1カ月前くらいに聞いたのかな。
「やめようと思う」って。私は「そうだね。悔いがないなら、
それでいいんじゃない」って言いました。会見後に私の病
気のことを理由にしたと言われてびっくりしました。『今度
は支える番』って言ったと知ったときは、正直な気持ちなん
だろうなって思いました。ずっと元気だった私が2010年の
乳がんから去年は心不全になったり、胆のうを取ったり、
今年も糖尿で緊急入院したりが続いて。彼のショックの方
が大きかったと思います。

 それまで引退という言葉は1度も聞いたことがありません
でした。『やめると口走ったら、2度と上がらないで。1、2年
したら復帰なんて絶対に嫌』という話は本人に言っていまし
た。冗談で『車イスとか歩けなくなるのは困る。私は体が大
きい人を動かせない。自分で動けるウチにやめないとね』と
いう話もしてはいました。今思うと、もう少し早くやめても良
かったのかな。(12年の)脊柱管狭窄症の手術の後、『天龍
源一郎、ここにあり』というのをもう1度見せたかったんでしょ
う。体力の限界ではありません。内臓などはまったく問題なく、
お医者さんからは『あと30年は生きるよ』って言われていま
すから。

 力士になるとき、プロレス入り、その後も全日本をやめてS
WSに行ったり、こんなに分岐点のある人はいないんでは。
ジャイアント)馬場さんが(99年に)亡くなったときはショック
を受けてましたね。全日本時代は天龍が馬場さんの秘書み
たいな感じで、いろいろアドバイスもしてましたから。でも、
(退団した後で)関係がうまく修復できていませんでした。お
葬式に行っても追い返されるだろうし、周りが嫌な顔をされる
と思って、テレビで馬場さんの棺が運ばれるのを見ながら、
2人で画面へ手を合わせましたね。

 彼が右へ行くって言ったら、私は右について行きました。試
合はけがが怖くてほとんど見たことがありません。入場の音
楽が鳴って、リングに入ってコールまでは見ます。あとは終了
のゴングでけががないか確認するだけ。きょうもそうでした。
(テーマ曲の)「サンダーストーム」が最後だったことは感動し
ましたね。『絶対に上がらないから、リングに呼び込まないで』
とも言ってました。私が出て行っても誰も喜ばないでしょう。メ
ソメソする引退はイヤだったんで、さわやかに終わって良かっ
たと思います。

 1等賞は私の中では取ったと思います。いま思うと、1度で
も2度でも人を感動させられたら1等賞なのかな。そうだとし
たら、早くになっていたのかも。夫としては点数はつけられな
いけど、選手としては100点満点で100点以上の価値があ
ると思います。本当に長い間、お疲れさまでした。
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