不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

ラッシャー木村氏、ご逝去。

 
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プロレスラーのラッシャー木村氏がお亡くな
りになった。
 私は木村氏の特別なファンというほどではない
が、偉大なレスラーの思い出としてここに追悼の
記事を載せたいと思う。
 ラッシャー木村氏は、1958年プロレスラー
になるための基礎体力つくりのために大相撲に
入門した。
 当時は今のようにトレーニングジムなど無かっ
たため、相撲部屋であらかじめ鍛えておこうとい
うわけである。
 相撲部屋なら食事も出て体も鍛えられる、とい
う一石二鳥なのだ。
 木村氏は、見た目以上にちゃっかりしていたの
だ。
 だが、幕下20枚目にまで昇進したところで「十
両に上がったら辞められなくなる」と突然相撲を
廃業したのだそうだ。
 木村氏は、このままいったら自分は十両になる
な、と言う手ごたえがあったのだろうか?
 殆どの関取や大横綱になるような力士でも、相
撲人生を振り返ったると「十両になった時が一番
嬉しかった」とよく語る。
 木村氏は、それをあっさり捨て去ってしまったの
だ。
 元々プロレス入りを目指していたから、と言う理
由はあれど、ずいぶん大胆である。
 見た目によらず、思い切った性格の持ち主だっ
たようだ。
 木村氏は、それからすぐに力道山創設の日本プ
ロレスに入門した。
 その後、東京プロレス国際プロレスと移籍した。
 不運なことに木村氏が所属するプロレス団体は、
いつも崩壊してしまったのだ。
 フリーの立場では、猪木の新日本プロレスにも参
加し、悪役レスラーとして会場を熱狂させた。
 木村氏の悪役ぶりは徹底しており、当時の熱狂し
たファンからはプライベートにまで及ぶ嫌がらせを浴
びた。
 そうしたファンらが自宅にまで来て物を投げつけた
り、大声で叫んだりした。
 そのため、飼い犬がノイローゼになってしまったそ
うだ。
 番犬になるはずの犬がノイローゼになってしまうほ
どだから、頭に血が上ったファンとはいえ酷すぎる。
 その後、ジャイアント馬場に迎えられ、全日本プロ
レス入りした。
 だが、全日本プロレスでは独自の地位を築くことが
出来た。
 マイクパフォーマンスが人気を呼んだのだ。
 これはジャイアント馬場との一種の掛け合いで成立
していたのだが、実際にはラッシャー木村氏の一人語
りである。
 リング上から、大男がしみじみと語りかけるという、
それまでに無かったスタイルが人気を呼んだのだ。
 2004年に現役を引退したが、その選手生活の晩
年は充実したものだったと思う。
 タッチロープを握ってリングサイドに佇む木村氏の姿
は哀愁があった。
 プロレスと哀愁という相容れ無さそうな要素を融合し
た木村氏は、プロレス界の改革者の一人だったと言
えるだろう。
 
 また、昭和が去って行ってしまった。