不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

古新聞を出す

 古新聞が溜まってきたので、出すことにした。
 その昔、ちり紙交換車という便利でありがたい業者さん
がいた。
 クルマで家々を回って古紙を回収してくれ、その上古紙
と交換にトイレットペーパーやティッシュまでくれたので
あるから、今から思うと夢のようである。
 当時は、それで当たり前だ、と思っていたので格別あり
がたいとも思ってはいなかったのだが、そういうサービス
が存在しなくなってみると、そのありがたみがよく理解で
きる。
 
 紙は意外と重い。
 一般に軽いものの形容に使われることが多い紙ではある
が、量が多くなると、当然のことながらこれが重い。
 重くて当然だと思っているものが、重くても何とも思わ
ないのだが、軽い印象があるものが重いとなると、ちょっ
と嫌な気分になってしまう。
 いつもながら勝手なものである。

 押入れの中で70cm程に積み上がっていた新聞を外界
に引っ張り出す。
 もっとこまめに出せば良さそうなものだが、それがなか
なか出来ない。ひょっとして、また読みたい記事があるか
も、とか考えてしまうからだ。
 だが、そんな記事は滅多にないし、もしあればその日の
うちに切り抜いておくので本当はそんな心配は必要ない。
 さて、新聞を縛るには我が家では古布を切り裂いてそれ
を繋げて紐にして、それで縛っている。
 結束用のビニール紐を買うという発想は無い。
 不用品を出すのに、その上に何かを購入するのはどうか
と思う。不用品のためにゴミになるものを新たに購入する、
というのは、どんなものなのであろうか。
 古布でなくとも、レジ袋を切って繋いでも良いかもしれ
ない。
 
 朝6時に古新聞を持って集積場に向かう。
 だが、すでにどちらかのご家庭の物が出されていた。
 この集積場では、前の家のおじさんが自発的に常時見張
っているので、前日に出すことは不可能である。
 以前5時半に持って行った時も一番乗りではなかった。
 どなたか、朝早い方がおられるようだ。
 
 また昔のようにちり紙交換が来てくれないかな、と願っ
ているのだが、なかなかそうもいかないようだ。

 時は流れて、過去は記憶の中だけに存在するだけである。
 記憶の中から現在と未来を眺めてみると、そこには必ず
しも便利なことばかりで溢れているのではない、というこ
とに気づかされてしまう。
 人と物にとっての進歩とは、どの辺りにあるのかという
ことは、容易に断言できるものではなさそうである。