不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

伊勢神宮の寄付を断る

 夜になりかけの7時前、家にどなたかがいらっしゃった
ようだ。
 玄関の前には町内の役員が2名立っている。
 きっと先日の伊勢神宮の寄付の件だ。
 なかなか来ないなぁ、と思っていたら忘れた頃の来襲で
ある。
 この件は前にこのブログにも書いたが、私はかなり批判
的である。
 どうして寄付をするのに差別をされなければならないの
だろうか。こんな露骨な差別は世界でも珍しいのだ。
 ブログに書いた時はそれでも、最低ランクの千円を寄付
しようと思っていたのだが、時間の経過につれてその千円
も払う気が失せてきてしまった。
 どうして、町内会を通じて一宗教法人の寄付を募るのか、
という当然の疑問もあるのだが、私を憤慨させているのは
寄付をした上に差別をするという姿勢にある。
 神道は日本だけで通用するの民族宗教なので、世界水準
を考慮する必要は無いのかもしれないが、それでも守られ
るべきモラルというものがあっても良さそうなものである。
 私は、その町内の役員の二人に断るつもりでいた。

 私が玄関に行くと、お二人は切り出しにくそうに来訪が
寄付の件であることを告げた。このお二人も実は寄付集め
に決してやる気満々では無いのである。仕方が無くやって
いるようなのである。
 そりゃそうだろう。神道に対して狂信的な人でもなけれ
ば1軒1軒回ってお金を集めるなんて気が向く作業ではな
い。
 それに普段から営業畑の仕事をしてきた人でもないので、
間の取り方もぎこちない。
 どこからか命令されたのでやっているけれど、という感
じであった。

 私が、そんなに宗教に熱心ではないので・・・と言いか
けると、
「あっそうですか!じゃいいです。それじゃ」
と言ってすぐに回れ右して、行ってしまった。
 私はそのあまりにあっさりした態度に拍子抜けしてしま
った。何が何でも集めるという様子とは程遠いものがあっ
た。たるんだ公務員でも、もっと熱心にやるだろう。

 どうも、どこの家でもそれほど歓迎されていないいよう
だった。
 これが、地元の氏神様とかの修繕費の寄付だったら話は
別なのだが、伊勢神宮のしかも寄付した人が入れもしない、
見れもしない所に喜んで寄付をするのだろうか?
 熱心な神道信者ならともかく普通の人はなかなか寄付は
しないようである。

 このエコロジーの時代に20年に一度の祭殿の建て替え
とは、何処か他所の惑星の話のようである。