不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

老人会の物故者供養に出席した

 町内の老人会による年間物故者供養の集いに行ってき
た。
 これは、昨年度中に亡くなった老人会の会員を役員と
会員により供養をするというものである。
 私は遺族なので、お客扱いである。
 昨年、父母を相次いで亡くしたのだが、父の老人会の
供養は昨年滑り込みで済ませており、今年は母の分とい
うわけである。
 2年連続の遺族出席ということになる。
 
 会場は町内のTという曹洞宗のお寺で、江戸時代寺子屋
だったお寺で、町内の小学校の母体ということになる。
 家から歩いて5~6分のところにお寺はあるのだが、そ
こに着くまでの間に、何人もの喪服のご老体がいらっしゃ
る。
 この人たちも遺族なのだろうか?
 多分違うだろう。
 昨年もそうだったのだが、老人会の役員や参加者の8割
が喪服で参加されるのである。葬式でも49日法要でもな
いのに、きっちり喪服なのである。
 せっかく持っているので、着ないと小さくなっちゃうか
らなのだろうか?
 それが当然の礼儀というものなのか?

 路地を少し入ったところにあるそのお寺は、それなりの
歴史と手入れの行き届いた感じのする構えである。
 入り口のところにお二人の役員の方おられる。
 頭を下げて、中に入る。
 こういう時は、頭を下げるだけでコミュニケーションが
済むので楽である。

 本堂には、すでに沢山の方が集まっておられる。
 何しろこの町内は、6時開始と告知されたお宮の掃除が
5時半ごろには始まってしまい、6時調度に行った私は、
やることがなくなってしまった、というところである。
 何でも早い。
 皆が目端が利く土地柄である。他所では不況業種でも、
ここでは、十分利益を出している。そんな土地柄を作り出
してきた先輩諸氏のなかに入っていくのであるから、少し
ばかり緊張してしまう。
 この中では私は、圧倒的な若造である。

 遺族が全員集まったことが確認されたのか、定刻より
も5分早く会は始まった。やはり、早いのだ。
 始めに司会者の挨拶。続いて老人会会長の挨拶。
 来賓として町内から当選した市議会議員の挨拶と市政
報告。市議と言っても、ここに集まっているのは、町内
の長老や実力者ばかりなので、態度もおとなしい。
 その後、住職による読経と参加者による焼香が行われ
た。
 通夜と葬式やその後の49日法要の時は誰が参列して
何人が食事に来るのか、引き物は足りるのかとかそんな
ことばかりが気になって、供養と言う気にはなれなかっ
た。
 実際、私もあの引き物が欲しい、とか言い出す親戚も
いたりした。計算外の欲求を葬式で噴出されても困る。
 多めに注文すればよいのだろうが、そんなことをすれ
ば、葬祭業者の思う壺だからである。彼らは、親切なよ
うで随所で商売人である。
 そうではないかなり良心的な業者もいたが、多くはど
さくさにまぎれて収益を出そうとしている業者だった。

 今回の供養は、私たち遺族は完全にお客さんで気も楽
だった。
 お布施その他、遺族側は支払いの心配も無いのである。

 30分ほどで会は終わり、会長さんがパンとクッキー
を下さった。
 このパンは、町内のベーカリーのもので隠れた名品で
ある。まだ、日本にベーカリーというものがあまり無か
った時代からの人気のこのお店。
 駅前に店舗があると言うこともあるのかもしれないが、
他所から電車に乗って買いに来るお客も多いのだそうだ。
 このお店は宣伝も殆どせず、価格もかなり高いのに売
れているのだ。
 町内に住む者には、お馴染みで懐かしいこのパン。
 年中食べるには高いので、皆さんたまに買って来て、
簡単な進物に使っているのだ。
 参加者全員に、このパンが配られ、遺族にはこの店の
自家製クッキーも贈呈された。
 極めてローカルではあるが、このお店の商品をこうい
う機会に使用するという点が、この土地の人達の実際的
なところであり素朴なところでもある。
 昨年もそうだったのだが、ここのパンとお菓子を頂く
と、うれしい気分になるのだ。
 
 来るときは、小雨だったので傘を持ってきたが、雨は
あがっていた。
 私は、湿った通りを歩き家に着くと、頂いてきたもの
を仏前に供えた。
 一年なんてあっという間である。