不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

駐屯地に行ってきた

 自衛隊の駐屯地の中の資料館が公開されるというので
見に行ってきた。
 駐屯地には、一般人は普段は入れないのだが、年に数
回、一般公開の日が設けられており、今日はその日なの
だった。
 年に数回の一般公開なので、人でごった返すのかと思
っていたら、そんなことはまるでなかった。静かなもの
である。
 入り口に長机があって、そこで住所と名前を書いて、
入場許可証?をもらう。今流行の首下げである。と言う
より、ただパスに紐をつなげた物だ。昔は、こういう場
合は安全ピンで胸とかに留める、というスタイルが一般
的だったと思うが、いつの頃からどこでもこういうスタ
イルになった。こちらの方が見栄えが良いのか?
 自衛隊もなかなか流行に敏感である。
 資料館は、入り口から歩いて3分ほどのところにあっ
た。
 駐屯地内は、とても清潔に保たれており、軍事施設が
持つであろうギスギスしたような感じは、少しもしなか
った。どこか文化施設のようでもある。
 私は、自衛隊の施設に入るのは、今回が初めてである。
 もっと、とげとげしい所かと思っていたので、意外で
あった。
 資料館は、市の地区会館ほどの大きさがあった。
 この建物も、とても綺麗である。知らなければ、自衛
隊の施設とは、とても思えない。文教施設っぽいのであ
る。
 展示室の入り口に、いきなり特攻隊員の遺品が展示さ
れている。
 うーん、見学者を秒殺しようという魂胆か?
 インパクトがあり過ぎる。
 世界史上初の、特攻という極めて特殊な攻撃方法を命
じられた若き軍人たちについては、鈍い私でも感じるも
のがある。
 
 その他には、召集令状、いわゆる赤紙などの命令通知
の書類が並ぶ。
 国から「死んできなさい」と言われたようなものであ
る。国からそう言われれば、抵抗することは困難だ。逆
らえば捕まるし、地域社会からは非国民呼ばわりされる。
踏んだりけったりである。
 当時の市民は、自分たちを納得させる思考を編み出す
しかなかっただろう。
「お国のために・・・」
 
 さて、お国とは何なのだろう?
 負けるのが分かっていながら、突進を停止出来なかっ
た機能不全に陥った集団のことなのだろうか?
 さて、当時のトップは責任を取ったのだろうか?
 かつての軍人たちの遺品を見ていれば、誰が当時のト
ップだったのかは、すぐ分かる。
 責任の撮り方を知らなかったのだろうか?
 曖昧なその態度が、彼らをより一層政治的な存在にし
てしまっているのである。
 責任を取らない人間には、自由は無い。
 これは世界共通の認識である。嘆かれても困る。

 帰りにパンフレットと雑誌を頂いて、駐屯地を出た。