不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

羽生選手のショートプログラム曲・その①~パリの散歩道。

 私は理由があって普段はあまりスポーツ中継を見な
い。
 興味がまるで無い、というわけではない。
 今や世界のトップレベルにある日本のフィギュアスケ
ートも、結果をニュースで知る程度である。
 競技自体にも詳しくはない。
 ただ私としては日本男子フィギュアスケートの羽生結
弦選手がショートプログラムで用いている曲については、
記しておかなくてはならないと思っている。
 その曲はゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」である。
 正確には主要部分がゲイリー・ムーアの「パリの散歩
道」で後半にジェフ・ヒーリーの「フーチー・クーチー・マン」
に繋がる編集となっている。
 本日は、ゲイリー・ムーアの「パリの散歩道」について
記す。
 この曲のオリジナルは、1978年発表のアルバム「バッ
ク・オン・ザ・ストリーツ」に収録されている。
 このオリジナル版は歌詞がついている。
 ゲイリーの盟友にしてシン・リジーのリーダーのフィル・
ライノットによる歌詞を書いた。
 I remember paris in ’49
 The champs elyses
 Saint michel and old beaujolais wine

 And I recall
 That you were mine
 In those parisienne days

 Looking back at the photographs
 Those summer days
 Spent outside corner cafes

 Oh I could write you paragraphs
 About my own parisienne days
 
  49年のパリを思い出す
  シャンゼリゼ大通り
  サンミシェル通り ボージョレーの味
  おまえと ずっといしょだった
  あのパリの日々
  
  古い写真を見ると思い出す
  コンコルド広場で過ごした夏の日々
  いくらでも 書き続けることができる
  パリの日々の思い出
 
 この歌詞を読むと(パリについての思い出を歌った
歌なんだなぁ)と思われることだろう。
 だが、この歌詞には他の意味が込められていると
される。
 作詞者のフィル・ライノットの父親は、ブラジルの黒
人の軍人だった。
 その父親がアイルランド駐屯中にアイルランド人の
白人女性と出会った。
 やがて、子供が産まれた。
 それがフィル・ライノットである。
 1949年のことである。
 だが、父親はフィルの顔を見ることなくブラジルへ
帰ってしまった。
 父親の名前は「パリス」というそうだ。
 この曲は会うことが無かったフィルの父親への想い
が込められている。
 ロックの歌詞は単純なものが多いが、そうでもない
ものもある。
 フィル・ライノットは詩人としても高く評価された才人
だった。
 羽生選手が使っている版は、インスト版で後に発表
されたライブ盤からの演奏を編集しているものである。
 ゲイリー・ムーアとフィル・ライノットは共に既に他界し
ている。
 二人が作ったこの曲が、オリンピックのリンクで使わ
れると知ったら、どんな顔をしたであろうか。
 二人とも羽生選手のショートプログラムの演技を見て
喝采を送るに違いない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                      
 英国のマーキーでのライブ録音盤より。
 羽生選手が使っているのはこの演奏である。
 長い前奏のあと1分36秒から曲が始まる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ネット上の映像では、この時の演奏がベストと思
われる。
 ゲイリー・ムーアは、この翌年スペインで客死して
いる。