いつもの集いに行ってきた。
元々、霧スト教や清書について学ばせてもらおうというつもりで行っている。
その中で、それ以外のことも、ある意味勝手に学ばせてもらっている。
実に勉強になる。
書物だけでは、決してわからないことが幾つもあることが実感できている。
活字になるのは、良いことも悪いことも極端な事例が多い。
一冊の本として出版するには、善悪のどちらかにフォーカスして纏めることが求められる。
一割の良いことと、一割の悪いことが活字となり、その中間を構成する八割に及ぶグレーゾーンは、記されることはない。
私は、今、そのグレーゾーンを体験している。
これは私にとって貴重な体験となっている。
本当に本だけではわからないことが山盛りである。
そして、霧スト教が明治維新後の禁教令が解けた後から100年以上経過しているのに信者数が一向に増えない理由も、よくわかった。
「こんなことしていたら、せっかく境界に来た人も来なくなるな」といったことである。
これは、霧スト教サイドの書物では殆ど記されていないことである。
彼等自身には、思い当たらないことなのかもしれない。
あるいは、都合が悪いことなのだろう。
何故、それが放置されているのか?
彼等が鈍いのか、どうなのか?
そのあたりも、今後取材していくことにする。