今の日本のご時世で、宗教団体に参加している人は、基本良い人が多い。
だが、同時にクセも強い人も多い。
この、いつもの集いは霧スト教の境界なので、特にその傾向が強い。
善良であり、一癖二癖ある人たちである。
日本における霧スト教は、特殊な立ち位置にある。
明治維新後に禁止令が解け、布教が開始された。
それまでは、日本では存在すら認められない違法団体だった。
無いも同然だった。
したがって日本において、霧スト教の歴史は、とても浅い。
江戸時代末期に開教が相次いだ天理教などの教派神道よりも新しい。
教派神道が未だに「新興宗教」と呼ばれている現状からすると、日本の霧スト教も事実上の新興宗教である。
しかし、信徒たちは、そうは思っていない。
「2000年以上前から存在する古い宗教だ」と自負がある。
だが、日本ではバリバリの新興宗教である。
日本社会、日本文化に霧スト教は、未だ浸透していない。
姓書を一度でも読んだことがある日本人は、多めに計算しても0.1%以下だろう。
否、もっと少ないかもしれない。
賛美歌等も、もちろん知らない。
日本において未知の宗教である霧スト教に入信し、毎週境界に通う人たちである。
仏教や神道を捨てて、あえて霧スト教に入った人たちである。
それなりの気持ちの強さがないとできないことである。
クセの強い人が多いのである。
彼等とは別に、栗栖ちゃんの家庭に生まれた信徒もいる。
栗栖ちゃんになるべく幼児教育を施されている。
最初から仏教や神道とは別の世界に生きている。
この違いは、大きい。
今回、いつもの集いに参加するようになって、それを強く感じている。
~続く~