爪楊枝の頭の部分はどれも大体同じような形状となっている。
先端が焦げ茶色でロクロのあとのような模様、切れ込みが入っている。
以前、こうしたデザインではない、木の断面がスパッと切断されただけの爪楊枝を飲食店で使ったことがある。
(まあ、これでも良いか。大事なのは歯に当てる尖った方だし)
機能的には問題はないが、少し寂しい気持ちになった。
シンプルではありつつも安物の極みのような爪楊枝に感じられたからだ。
私は(あの爪楊枝の段々となったあのデザインには何か爪楊枝使用における機能状の理由があるに違いない)とずっと思っていた。
そうでなければ、あのような手間を掛けてデザインを施すとは思えなかったからだ。
そして先日冒頭の爪楊枝についての記事を読んだ。
えぇ~、そういうことなのか!
思っていたこととぜんぜん違う。
使用上の機能的な意味合いは、まるで無いそうだ。
切断しただけの爪楊枝の場合、その部分からささくれ立ち劣化しやすいという欠点を補うために考え出されたデザインだそうだ。
う~ん、これは思いもよらなかった。
意味があるに違いないと思っていたことが、あっさり覆されてしまった。
思い込みとは愚かなものである。
世の中にはこうした事例が他にもたくさんありそうである。
意味があると思っていたのに無意味だったり、或いはその反対に無意味なものとされる物事に重要な意味があったり。
あぁ知らないことは無限にあるようだ。
無知のまま生きるのは私の宿命なのかもしれない。