不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

台風19号に示唆を与えられる。

  今回の台風19号に対して、私は本気で祈った。

 それも日本へ接近する前の時点からである。

 これまでも当地は台風に見舞われることは度々あった。

 当地は”台風銀座”と揶揄されるほど台風がよく来るところで

ある。

 だが、台風関連で祈ったことは一度も無かった。

 どうしてだろう?

 台風に対して諦めているということが第一点であろう。

 第二に(祈って聞いてもらえるのか?祈りを叶えてもらえる

のか?)ということがある。

 一点目は、日本に生まれ生活している上で、台風と付き合わ

ねばならぬことは宿命だと認識しているからである。

 問題は二点目である。

 信仰者が(祈っても聞かれないだろう)と考えることは、よ

ろしくないことである。

 間違っている。

 信仰生活の根幹に関わることである。

 それは、わかっている。

 わかっていても、そう思ってしまっていたのだ。

 だが、そうした思いを突き破る事態が持ち上がった。

 台風19号の襲来である。

 その規模や強さは、これまでにないものと予報された。

 衛星画像を見ても大きな台風の目がクッキリと見える。

 (これはマズイ)

 そう思うと同時に恐怖心も湧いてきた。

 当地は台風銀座で大夫には慣れている一方で恐怖心も蓄積さ

れている。

 そうした蓄積された恐怖心を遥かに上回る恐怖心が生まれた

のである。

 そうなったら、どうするか?

 残された手段は一つだけである。

 祈るしか無い。

 祈り始める。

 すると、自分の祈りに対する無力感は少しも出てこない。

 これはこれまでに無かった状態である。

 祈りに対する雑念は一つも浮かんでこなかった。

 確信を持って祈ることが出来た。

 これは、何故だろう?

 あまりの恐怖心のために、雑念等に構ってはいられなくなっ

たのであろうか?

 いずれにせよ、この状態は私にとって初めての経験だった。

 そして、祈りは半分は叶えられた。

 偶然かもしれないが、祈った通りになった。

 台風19号は私の大きな示唆を与えてくれたようだ。