つきたいと思ったこともない。
(私を指導できるほどの人物がいるだろうか?)
若い頃は本気でそう思っていた。
不遜極まりない。
恥ずかしくて冷や汗が出る。
だが、年月をかけていろいろと人と会い、可能な範囲
内での見聞を広めてきた。
いろいろと痛い目にも遭ってきた。
大波小波に揉まれもした。
そして、今もやはり結論は同じである。
(私を指導できるような人はいないようだ)
今は不遜でそう思っているわけではない。
私の行動範囲ではそうとしか思えない。
世界中を渡り歩いて探せば、たくさんおられると思う。
だが、そういう人をどうやって探せばよいのか。
「それをするのも修行の一つ」と言われるかもしれない。
しかし、世界中を回ることは現実的とは思えない。
事実上不可能である。
世界は狭いようでやはり広いのだ。