内なる声なのか、雑念なのか、判別は難しい。
その時の自分にとって都合が良い内容である場合「内なる声だ」と採用してしまうからである。
目先の事情に弱いのだ。
だが、これまでに「これは間違いなく内なる声だ」と確信できたものもないわけではない。
内なる声の調子が普段とは段違いに強い。
否定できない圧力を感じる。
そうなると鈍い私でも(これは真正だ)と認めざるを得ない。
近年では新型コロナワクチン接種の判断の際に、その内なる声は聞こえてきた。
「絶対に打ってはいけない」
否定、抵抗が出来ない強さがあった。
これほど強硬に訴えてくるのであるから真実だろう、と認めざるを得なかった。
その後、世界中でワクチン接種が始まり、多くの死者や重篤な副反応が出ることとなる。
内なる声の通りに事態は進展し、今も進行中である。
おぉ~当ってる。
内なる声は私のことを気遣って指導してくれているのだろう。
これは有り難いことである。
料金もかからず(笑)、その場で教えてくれるのだから親切この上ない。
今後もよろしくお願いします。
出来ることなら、なるべく痛い目に遭わずに過ごせるように導いてくれると嬉しいです(笑)