人間は、肉体と言う強制収容所に閉じ込められている。
この強制収容所は独房であり、一つの房に一人ずつ入
れられている。
この独房の管理義務は、囚人自身に課せられている。
病と言う破損状態に陥れば、修繕(治療)しなければな
らない。
ここが、通常の収容所とは異なる点のひとつである。
人間は出生後ほんの数年この独房に閉じ込められてい
るだけで、独房と自分自身の区別がつかなくなってくる。
いわゆる物心がつく年齢になると、独房と自分自身の一
体化は完成してしまう。
「この独房は自分である」という確信が生きていく上での
基本となってしまう。
これは誤った信念である。
この独房と自分自身との一体化と言う誤った認識が、人
間のその後の人生の不幸の基となっている。
ほとんどの人間は、この誤った認識のまま一生を過ごす。
そして、晩年を迎える。
独房は長年の使用により、耐久性が落ちてくる。
修繕が追い付かなくなってくる。
やがて、死が目前に迫って来る。
人間は、死を可能な限り回避しようと試みる。
何度かは成功するが、それにも限界がある。
嘆きながら死に至る。
だが、死は悲しむべきことではない。
独房からの解放なのである。