見通しだそうだ。
懐かしいなぁ。
懐かしいと言っても、私は富岡製糸場に行ったことが
あるわけではない。
中学や高校の歴史の授業では、富岡製糸場は重要
項目である。
富岡製糸場は必ず覚えておかなければならない。
試験では必ず出題されるからだ。
その富岡製糸場が今でも当時の形のまま残されて
いたとは、知らなかった。
ちょっと驚きでもあった。
既に廃業し閉鎖している工場を残していたのか。
う~ん、当地ではまず考えられないなぁ。
工場を閉鎖したのなら、違う製品を作る工場にして再
稼働させる。
もしくは更地にして違う物を建てる。
敷地が広いので、駐車場などのスペースも十分確保
できる。
これが当地のやり方だと思う。
他の発想はありえない。
実際そうしてきている。
それが「普通」なのだ。
それをしなかった富岡、群馬の人達の県民性、地域
性とは、どういったものなのだろうか?
日本は狭いようで、かなり広いものだと思うここ数日
である。
加えて自分の無知も再認識させられている。