さて、ここでようやく当シリーズの①にまで戻る。
私は伯父の遺品であるセイコーの腕時計の電
池を入れてもらうためにM時計店に向かった。
M時計店は家から自転車で15分ほどのところ
にある。
私は店に入ると店主に腕時計を渡し用件を伝え
た。
それから数分後店主はこう言った。
「どうもパッキンが傷んでいるみたいなので、交換
して良いですか?」
パッキン?なんだか水道の蛇口みたいだな。
お幾らですか?と渡しは尋ねた。
「500円です」
それならお願いします、と私は言った。
それからまた数分後、店主は言った。
「いろいろ、調節してみたのですが、電池を入れて
みると数秒は動くのですが止まってしまいます。長
いこと止めておかれたのでは?」
その通りである。
最低でも7~8年は止まったままである。
「どうされます?動くようにするにはオーバーホール
しなければなりませんが」
えぇ~そんなことまでして使うつもりはない。
伯父の遺品といっても私には特別な思い入れが
あるわけではない。
たまたま家にあった中古品の腕時計でしかない。
こう書くと「なんだ冷たいやつだな」と思われるか
もしれないが、それが正直なところなのだから仕方
がない。
腕時計が伯父の鼓動を打つかのように秒針を刻
んでいる、というような感傷はまるで無いのだ。
私は腕時計を受け取った。
すみません、また違う時計を持ってきます。
そう言って私は店を出た。
家への帰り道、また後日来ようかと思っていたが、
腕時計が無いと何かと不便である。
それで家に着くとすぐに違う腕時計を持って店に
引き返した。
今度は4年前から使わなくなっていた私の腕時計
である。
私は再び店に入ると、その腕時計を渡した。
それから数分後、店主は言った。
「今度は何もしないのに動きだしました。でも、こち
らもすぐに止まるかもしれませんね」
そうですか。
なんでだろう?
私は時計を受け取った。
そして、おいくらになりますか?と尋ねた。
腕時計を2個も診てもらったのだ。それなりの料金
が発生していてもおかしくない。
「いえ、今回は結構です」
おぉ~、今回も無料か!
すぐに料金を請求しようとする異業種の某業者とは
大違いである。
そして「いらない」と言われると、逆に払いたい気に
なってくるから不思議である。
私は動き出したその腕時計をして店を出た。
それにしても、この腕時計は何故動き出したのだろ
う?
何しろ4年も使わなかったのだ。
そう言えば。
父が亡くなった時、私は父が使っていた腕時計を譲
り受けそのまま使うことにしたのだ。
その時、この自分の腕時計は竜頭を引っ張って止
めておいたのだった。
なので動き出しても当然といえる。
電池は生きていたのだ。
M時計店の店主も「なんだこれは?」と思ったに違
いない。
止まった、と言って持って来た腕時計がすぐに動き
出したからである。
M時計店の店主には申し訳ないことをした。
だが、私は良い時計店を見つけ、その店がそのま
まの気風を保っていることに嬉しさを感じていた。