不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

荒れていたお宅の庭にも春が。

 私がいつも通る道沿いに、とても散らかった
家があった。
 他所様の家のことを、散らかった、などと形
容するとは失礼なことは十分承知してはいるの
だが、そう形容するしかないような家であった。
 と言っても、今話題のゴミ屋敷と言うほどで
もない。
 だが、庭に子供用の自転車や乗り物や使って
いない家具や調度品がひっくり返って散らばっ
ているのだった。
 物干しも斜めに倒れていたし、その物干しに
洗濯物が干されていることは一度も無かった。
 それらは、かろうじて歩道にまではみ出るこ
とはなったのだが、庭は屋外物置といった様子
でとても混乱していた。
 
 そんな状況が5年ほど続いていたのだが、こ
こ数日の間に、その庭は綺麗に片付いていたの
だった。
 これは、この家の主が心を入れ替えたのか?
 だが、人はそう簡単に気持ちが切り替わるも
のではない。 
 一体どうしたことなのだろう?
 庭が片付いてからは、物干しも真っ直ぐに置
かれ、竿には洗濯物が干されるようになった。

 あれほど荒れていた庭が整頓され、洗濯物が
干されるようになった。
 それからは毎日、洗濯物が干されている。
 これは以前には無かったことである。
 洗濯物があるだけで、その家にありきたりで
はあるが、平穏な暮らしがやっていたことが感
じられた。

 荒れた家には荒れた家なりの事情があったに
違いない。
 だからと言って部外者が、軽々しく口出しを
するわけにもいかない。
 結果的にはそれは見てみぬふり、ということ
になってしまうのかもしれないが、第三者とし
てもどうしたら良いのかわからなかったりもす
るのだ。

 今日も、その家には洗濯物が春風に吹かれて
ひらめいていた。
 洗濯物はちいさな幸せのサインである。