不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

トップに立てば良い人か?

 先日、私とは、ほどほどに近い人がある団体の
トップに就任した。
 近いと言っても、あちらは私のことを直接は知
らないので、大したことはない。
 その人が所属している組織・団体は業界におい
ては日本最大規模で、そこに連なる人員はかなり
の数に及んでいる。
 その団体は巨大過ぎて実態が計れないほどなの
である。
 おそらく知らない人からすれば、そのような団
体の長になったのだから、さぞや素晴らしいお方
なのでしょうと思われるかもしれない。
 トップにいたるまでに、それなりに振るい落と
されてきて良い人が残ったと思われるかもしれな
い。
 だが、その人はそれほど良い人ではない。
 これは、彼と近しい人は皆が知っていることで
ある。
  
 巨大組織のトップが必ずしも良い人ではない、
ということは珍しいことではない。
 J民党の最高幹部の中にも、どうしてこんな人が?
という人がいたりする。J民党ほどの巨大組織なら
組織の上に行くほど人間的にもこなれた優れた人
ばかりになりそうなものなのだが、そうはなって
いないようだ。
 これはM主党も同様だと思う。

 組織が大きければ、上に立つ人は自然に良い人
が厳選される、というのは単なる思い込みである。
 成り行きに成り行きが重なって、普通人以下の
人がトップに座るということになってしまうこと
もあるのだ。
 これは消極的消去法により結果的に残った人が
頂点に立ってしまうということなのかもしれない。
  
 こういった場合、余程の失点が無ければそのト
ップは職を追われるとは無い。
 しかし元々が凡庸な人物なので、その団体には
進歩も無く停滞の歴史のみが刻まれることになる。

 人を肩書きや社会的地位で判断しないようにし
よう、というのは私の信条の一つではあるが、身
近な人でこういう実例があると、その信条をより
強くしていかなければならないと思う。
 
 その人が、所謂偉い人だからといって強い思い
込みを持つと、後で落胆させられるのは無知な人
々の方なのである。