不二家憩希のブログ

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モーツァルトと不遇な晩年

 1月27日はモーツァルトの誕生日だった。
 ラジオでもモーツァルトの特集を放送してい
た。
 どの曲もさすがに名曲ぞろいでモーツァルト
の天才を、これでもか!というほど伝えてくれ
る。
 これほどの天才であれば、生前はそれなりの
評価をされていたのだろうと思いがちだが、そ
うでもなかった。
 ピアノ教師や自作自演の演奏会を催したりし
て一時は成功を収めた時期もあったようだが、
それも長くは続かなかった。
 晩年の3年間は、ピアノの弟子も減り演奏会
も不振で生活は困窮を極めたそうである。
 音楽の都と呼ばれるウィーンで活動していた
のに、この扱いはどういうことなのだろうか?
 見る目、聴く耳を持った人間がいなかったの
だろうか? 
 音楽の都って一体何だ?と思ってしまう。
 才能が有り、活発な市場の中で活動していれ
ば、才能に見合った評価を与えられる、と単純
に思ってしまうが、実際はそうでもない。
 モーツァルトが不遇を囲っていた時期にも、
音楽の都では、今日では忘れ去られてしまって
いる多くの人気音楽家達が活躍していた。
 モーツァルトはそれらの自分よりも才能の劣
る音楽家達と競っていかなければならなかった
のである。
 何という才能の浪費だろう。
 保護されることも無く世間の荒波に晒され続
ければ、才能は生きる力を消耗してしまう。
 天才は世間に誤解されがちであるが、別に強
靭でもなんでもない。
 生きるということにおいては、ただの一人の
人間なのである。

 モーツァルトが短命だったのは、当時の音楽
シーンの無理解によるものであると私は考えて
いる。