不二家憩希のブログ

はてなブログに引っ越してきました。

近所で起きた火事を思い起こす。

 現在、保険切れの状態にある。
 どこにしようか選定中なのである。

 火災保険では思い出されることはいくつかあ
る。
 火事はそれほど頻発するものではないのだが、
それらはほとんど場合、悲劇として幕を閉じる。

 隣の町内で住宅火災があったのは約8年前の
ことである。隣の町内といっても小分けに区分
された中でのことで、我が家からは近いところ
にある家でその火事は起こった。

 午後4時頃、丁度家にいた私が2階の窓から
外を眺めていると、白い煙が我が家の前に流れ
てきた。 
 私は、どこかで焚き火でもしているのだろう
と思い気にもしないでいた。だが、その煙が次
第に増えてきて道が白くなるほどになってきた。
 これは!と思い、家にいた両親に外の煙を見
てみるように言った。
 母は外に出て、あたりを見回した。
「あっ!○○さんの方からだ」
 その声を聞いて父も家を飛び出していった。

 私も外に出てみた。
 ○○さんの家が燃えている。
 近所の方が一斉に○○さんの家の方に走って
いった。
 消火活動のためではなく、ただの野次馬のた
めにである。
 
 私には、そういう趣味は無いので家の中にい
た。
 後で聞いたら、近所の人で家にいた人は全員
見に行っていたそうだ。
 町内で見に行かなかったのは、私だけだった
らしい。

 ○○さんの家は全焼した。近隣への延焼だけ
は避けられた。
 脳卒中で寝たきりだった世帯主の○○さんが、
焼死された。
 一階で海洋レジャー用品の店をやっていた息
子さんの家族は逃げて無事だった。
 野次馬連中は、○○さんが焼けていくところ
を見ていたことになる。
 好奇心とは、かくも残酷なものである。

 数後日、焼け跡には店が火事のため閉鎖され
た旨を告げる小さな看板が建てられていた。
 それからまもなく流れてきた話では、息子の
家族は、市内の離れたところでコンテナハウス
で暮らしている、とのことだった。
 近所の人は、家を建て直して戻ってくるもの
だと当然のことのように思っていた。
 しかし、いつになってもその気配は無かった。
 
 焼け跡に建てられた小さな看板が日に焼けて
色あせてきても、家族は戻っては来なかった。

 それから3年後、その焼けた家の土地には、
小ぶりなアパートが建てられた。
 どうやら、その土地は別の人の手に渡ったよ
うだった。

 ○○さんの家には、火災保険がかけられてい
なかったようなのだ。
 
 こういうことが近所であると、やはり火災保
険は必要だと思い知らされる。
 私もあまりのんびりともしてはいられられな
いとは思う。

 予期できぬ悲劇は、この地上ではありふれた
ものなのである。