不二家憩希のブログ

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小朝師と泰葉氏の離婚会見を見た

 春風亭小朝師と泰葉氏の離婚会見を見た。
 (以下敬称略)
 離婚会見を金屏風の前で行い、夫人の弟2人が同席す
る、という異例なものだった。
 ご存知の通り、夫人は独身時代をシンガーとして程々
に活躍しており、その弟は2人とも別れた夫と同業者で
ある落語家である。
 つまり全員が芸能人なのである。
 芸能人は話題の先端にいたがるものであり、常に何ら
かの効果的な露出を画策している。曖昧な一般人の記憶
の隅に留めておきたいからであり、その存在を忘れられ
た芸能人は死んだも同然だからである。
 
 今回の離婚会見もそうした芸能人の思惑を見事に反映
したものとなっていた。
 仲が良いのですが離婚します、というのが別れた両者
の主張だったのだが、仲が良くて離婚するということは、
ありえないことだと思う。離婚という行為そのものが、
不仲を端的に証明しているのであるのに、何故それをあ
えて否定するようなことを会見で発表するのであろうか?
 それは両者共に、それなりの見栄と言うものがあるか
らではなかろうか。自分のライフスタイルに傷を付けた
くないのである。人生のある種の失敗、もしくは停滞を
認めたくないのであろう。
 芸能人は見栄っ張りなのである。

 泰葉は、今後芸能人として活躍してきたいそうである。
 やはり、下積みの経験が無い芸能人は人生に対する見
通しが甘い。20代で大金を手に入れ、周囲にちやほや
されるという経験をしてしまえば世の中を舐めてしまっ
ても不思議ではない。

 今回の離婚が、両人が流暢に語るように幸せなもので
はない、ということは両端に座っていた2人の弟の表情
を見ていれば、誰にでも分かったと思う。
 小朝と泰葉の二人の戦略と見栄のために引っ張り出さ
れた彼ら2人は、気の毒なことだったと思う。
 それも、自分達の落語家としてのしがらみとして割り
切るほかは無いのかもしれない。
 
 何でもかんでも自らの芸能活動に利用しようと言う意
気込みには、恐れ入る。
 これを、たくましさと見るか醜い貪欲と見るかは個々
人によって異なってくると思う。

 私は、芸能人は一般人とは感覚が違うのだなぁ、と思
った。

 私達が生きている世界では、ああいった会見内容につ
いては非常識と見なされるのである。
 非常識はより良き結果がそれによってもたらされれば、
その非常識は見事に超えたハードルともなるのであるが、
悪しき結果に終われば、社会人失格という証明にもなる
のである。
  
 それにしても、離婚会見に金屏風を使用するとは、伝
統を重んじる落語界の方々とは思えない選択であったと
思う。